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パン祖・江川太郎左衛門のこと 岩見隆夫
いま、祝日となる旗日は、元日(一月一日)から天皇誕生日(十二月二十三日)まで年間十五日だ。日曜日と重なると翌日は振り替え休日になるが、来年それが三日もある。今年はなかった。

旗日も残念なことに、由来が薄れがちだ。たとえば、体育の日(十月十日)は東京オリンピック開会式の日を記念して設けられたが、案外知らない人が多い。文化の日(十一月三日)はもともと明治天皇の誕生日、かつては明治節と称していた。

勤労感謝の日(十一月二十三日)は戦前の新嘗祭である。宮中行事の一つで、天皇が新穀を神々に供え、自身も食する日、転じて生産を祝い感謝する日になった。そういうことは学校で教えているのだろうか。

ところで、祝日でない〈○○の日〉はたくさんある。最近、四月十二日が〈パンの日〉ということを初めて知った。

十月二十五日付『読売新聞』静岡版の記事からだ。〈幕末のパン再現 江川坦庵の製法書もとに〉の見出しがついている。記事によると、日本で初めて兵糧用のパンを製造し、〈パン祖〉と呼ばれる幕末の韮山(現静岡県伊豆の国市)代官、江川坦庵(太郎左衛門英龍、一八〇一−一八五五年)が記したパンの製造法が新たに見つかり、函南町の製パン会社が試作品を作ったというのだ。

その坦庵がパンを初めて作ったのが一八四二(天保十三)年四月十二日と推定されることから、この日がパン業界指定の〈パンの日〉になった。函南町の製パン会社は来年の四月十二日発売を目指して改良を重ねる、と記事にあった。ほのぼのとした街の話題だ。パン製法書は坦庵の直筆、昨年八月発見されたそうで、記事にはこと細かく製法が記されているが、それは省略する。実は、読んだ時、

〈ああ、あの江川坦庵……〉と思いあたることがあった。たまたま八月末、静岡県の名門、韮山高校の同窓会で政治のよもやま話をする機会があり、同校の学祖が坦庵と知ったからだ。

その時、同窓会会長の川口市雄前熱海市長から『実伝 江川太郎左衛門』(鳥影社・二〇一〇年刊)をいただいたのだが、なにしろ千ページに及ぶ大部で、一度には読めない。著者の仲田正之さんは韮高の教諭などをつとめた江川研究家で著書も多数ある。『実伝』のあとがきには、

〈杉田玄白なら『解体新書』と、ほとんどの偉人は業績一つである。太郎左衛門英龍は、剣、芸術、学問、行政官、外交、造船、反射炉、お台場、パン、号令と、よくもまあと感心するほど業績が多い。また、それを示す古文書も多い。

また、関係者も知名人が多く、交際も華やかである。幕末もとかく革命的暴力をふるった人に注目が集まり、官僚は敬遠されがちである。しかし、幕府官僚にも人はいた〉

と記している。パンもちゃんと業績の一つに加えられていた。台場は海防のため海岸付近に設けられた砲台のことで、〈お台場〉は特に品川台場を指す。号令は軍隊における号令の掛け方のことらしい。とにかく、有能、多才なマルチ人間だった。いまの県知事をはるかにしのぐ。

◇韮山反射炉を築造した驚くほど開明的指導者

たしかに、幕末人間模様から坦庵をはずしているのはおかしい。業績のなかで広く知られているのは国指定史跡の〈韮山反射炉〉で、反射炉は金属の溶解、製錬などに用いられるが、坦庵はこれを築造し、大砲鋳造によって国防に備えるべし、と幕府に建議、許可を得た。

当初、下田に建造されたが、日米和親条約で下田が開港されたため、機密保持の必要から韮山に移転したという。一八五四(安政元)年着工、五八年に完成した時は、坦庵すでに没していた。最近、世界文化遺産登録の可能性が出ているそうで、伊豆の国市が準備を始めたという。

パンの話に戻る。江川邸内には、徳富蘇峰の筆による〈パン祖江川坦庵先生邸〉の碑が建っている。だが、『実伝』のなかで、仲田さんは、

〈ここで問題となるのが、江川英龍をして「パン祖」と言えるのかどうかである〉と一応疑問を投げた。パンとは麦粉を練って焼いたものの総称であり、その意味では、麦の栽培が始まった鎌倉時代(十二〜十四世紀)からパンはあった。また、パンはポルトガル語のパオからきたもので、南蛮貿易の室町末期(十六世紀)にパンは日本に入ったことになる。

だが、パン製造はその後続かない。秀吉の伴天連追放令でパン製造は禁止されている。パンとワインはキリスト教徒の洗礼に使用するからだ。それから二百年余も経過して締め付けもゆるんでいただろう。

〈しかし、幕府官僚が(禁を犯したと)言い立てたら罪に落ちる。幕府部内の高島(秋帆・幕末の兵学者、砲術家)流唯一直伝者たる江川英龍が、西洋式軍隊育成のため西洋式兵糧を導入するとなれば、阻むことはできない。こうして、韮山ではパンが焼かれ、全国に広まった〉

というのが仲田さんの解説だ。さらにつけ加える。

〈パン製作の公認を取りつけたから「パン祖」というだけではない。長崎の特定業者が焼いたのでは認められない。江戸でパンを焼き広めたところに「パン祖」の称があろう〉

西洋式兵糧は一年ぐらい変質しない乾パンのような保存食で、記録によると、厚さ一センチ、直径十センチほどの円形パンだった。

とにかく、英龍は驚くほどの開明的な指導者である。仲田さんは、〈森鴎外、松本清張が挑んだ天保時代を、江川太郎左衛門英龍によってもう一度味わっていただきたい〉とも記しているが、それに十分値する。

坦庵は母の遺言である〈忍〉の字を守り札にし、生涯肌身から離さなかった。縁者の間で起きた大惨事がもとだった。忍の強靱さが結果として先取の気性と業績につながったのかもしれない。韮山高校の校訓も〈忍〉である。(サンデー毎日)

杜父魚文庫
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