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非常時・日本の突破口とは 古森義久
中田宏氏といえば、衆議院議員から横浜市長を経て、日本創新党の旗揚げで知られる若手の政治家です。杉並区長だった山田宏氏との連携はよく知られています。

その中田氏が新著のなかで、日本の国家の刷新のための大胆な提言をしているので、その書を紹介します。竹中平蔵氏との共著です。

日本の政治家には「国家観」がないという指摘など、納得できます。この書の内容は下記に概要が出ているので、そこをごらんください。

内容紹介=日本のオモテもウラも知る小泉構造改革の司令塔と元横浜市長が増税、円高、リーダー不在……日本の「大問題」を語り尽くした!ここが変われば、日本はよくなる!

●リーダーに「複合連鎖危機」の中にある、という危機感がない!
●小泉政権の電力自由化をつぶしたのはコイツだ!
●「社会保障と税の一体改革」は大いなるごまかしである!
●なぜ高すぎる公務員給与を見直せないのか!
●橋下「大阪都構想」の本質にある国と地方のズブズブ関係!
●地方財政は、わかりにくくて関心をもたせない仕組みになっている!
●努力しない自治体ほど交付金や補助金をたくさんもらえる!
●地域性とはどこまで起爆剤になれるのか!
などなど、日本が危機から脱するため、政治・経済・社会に存在する「大問題30」を徹底告発!

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竹中平蔵
政治家はすべてを理解する必要なんて、まったくない。細かい部分は全部、専門家にまかせればいい。ただし、本質的な部分の理解だけは、腹をすえて持っていなければならない。小泉純一郎さんは、まさにそんな政治家でした。確たる理解、信念が腹の底にあった。だからブレない。細かいことは知らなくても、瞬時に大局的な判断を下すことができなくてはいけません。

中田宏
日本を変えていくのに必要なのは、浪漫と我慢だと思います。この本でも述べてきたように、リーダーのビジョンこそが必要です。浪漫があるから、我慢ができる。リーダーと国民が一緒になって突き抜けられれば、いい社会にできるはず。日本はよい国なんですから。

内容(「BOOK」データベースより)増税、円高、リーダー不在…日本のオモテもウラも知る2人が語り尽くした。

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中田氏とは私は最初に2000年に北京で出会い、感心させられた体験があります。その内容は以下の記事に詳しく書きました。

その中田氏が今回、ワシントンを訪れました。山田宏氏をも含めて、久しぶりの懇談の機会を得ました。二人の政治家の改革への情熱を強く感じさせられました。

本書もその再会を機に手にすることができました。

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<<【日中再考】第2部 友好の虚実(7)青少年交流の実態>>

「日中青少年交流という言葉のひびきはよくても、これでは中国側の政治的な思惑にはまってしまうだけですよ!」

中田宏衆議院議員はいかにももう黙ってはいられないという感じの熱っぽい語調で語った。北京市内にある広壮な日本大使公邸の大ホールだった。「二〇〇〇年日本青年 交流代表団」の日本人男女約百人を迎える歓迎レセプションが催されていた。日中双方の数百人でごった返すその会場の片隅で三十五歳の無所属の若手議員の中田氏は中国側が組む行事日程に不満をこぼしたのだった。昨年九月十一日のことである。

日本から着いた青年交流代表団の一行はレセプショ ンの前日の公式日程冒頭、中国側によってまず北京郊外の盧溝橋にある「抗日戦争記念館」に連れていかれ、その一部の「日本軍暴行館」で中国側が主張する南京大虐殺や七三一細菌兵器部隊の残虐の展示の限りをたっぷりみせられたというのだ。

盧溝橋はいうまでもなく一九三七年七月七日、夜間演習中の日本軍が中国側から発砲を受けたことから衝突し、全面戦争へと進む契機となった舞台である。

日本の青年交流代表団一行はさらに抗日戦争記念館で、中国側から「中日関係史」の講義を一時間以上も聞かされた。もちろん日本の中国に対する侵略や残虐が主題である。講師は日本語の名手で、この種の日中交流には必ず登場して、重要な役割を果たす劉徳有元文化省次官だった。

中田議員はこれではせっかくの相互交流も中国共産党による日本の青少年への政治教育になってしまう、と懸念するのである。同議員は日中関係に前向きな関心を抱き、この訪中団には第一回の九九年も同行したという。二回とも代表団顧問という資格での参加だった。

そもそもこの交流は日中両国が政府間の相互計画として始めたプログラムである。江沢民国家主席が九八年十一月に訪日した際、当時の小渕恵三首相との間でサインした共同声明で決まった交流なのだ。ただし日本側で中国と実際に交流するのはみな民間の青少年である。

「日中青少年交流が両国の相互理解と発展に果たす重要な役割を十分に認識」したことから始まった計画で、九九年からの四年間に合計一万五千人ほどの青年の 相互訪問を実現させるという内容だった。だがこの種の「相互」という場合にはいつも日本側がずっと多くを負担するのが慣例で、中国側は毎年百人だけの日本の青少年を招くこととなったのだ。ただし航空運賃の約五万円相当は日本側の個人負担とされた。日本側が招く中国の青少年たちがすべての費用を日本側に負担させるのとは対照的である。

中田議員は九九年の状況を説明した。

第一回の訪中団の若者たち約百人は北京に着くと、今回と同様にまずまっさきに日本軍暴行館に連れていかれ、展示の見学を余儀なくされた。劉徳有元文化省次官が登場して、中日関係史の講義をした。このときの日本側約百人は三分の一ほどが高校生だった。事前の通告も準備もないまま、日本軍の残虐行為とされる情景のむごたらしい写真や血だらけのろう人形群を多数みせられ、高校生たちはパニック状態となった、というのである。

第二回の訪中団は十八歳から四十歳までと年齢は高くなった。日中友好協会が主体となって組織され、団長には同協会副会長の佐藤嘉恭元駐中国大使がなっていた。メンバーは社会人が多く、朝日新聞の中堅記者まで入って、前年の高校生とは大幅に異なる構成となってはいた。

だが中国側は前年とまったく同様にまず日本軍暴行館をみせ、抗日の歴史を聞かせた、というのだ。ただし訪中団はその後は三グループに分かれ、各地を五日ほどの日程で訪れていた。

中田議員は日本の民間からの青少年たちが二年連続、中国共産党の政治教育を受け、中国側だけの偏った歴史認識を吹き込まれたことへの反発を表明する。

「国と国との青少年交流だから中国側が国の方針として政治教育を試みること自体は仕方がないかもしれないが、日本側とすれば、まだ歴史認識の固まっていない若者たちが抗日戦争記念館や日本軍暴行館で政治プロパガンダをあびせられることに強い抵抗を感じます。中国側の歴史展示には誇大な宣伝も多々あり、まゆつばの写真や資料も多いのです」

この青少年訪中団の受け入れは中華全国青年連合会(全青連)である。この機関は中国共産党のエリート青年組織の中国共産主義青年団と表裏一体で機能する。つまりは日本側の民間の青少年を受け入れるのも中国側では共産党の一枚岩の組織なのである。日本大使公邸でのレセプションでは全青連の黄丹華副主席が立って、演説をした。

「中国を訪れたみなさんにはまず盧溝橋で中日関係の歴史を正しく理解してもらいます。そしてそうした理解を基礎に将来は中日友好のかけ橋として友好活動に参加することを期待します」

やはり日本側の人間が中国との友好にかかわり、日中のかけ橋となるには、まず中国側が正しいとして提示する歴史を受け入れなくてはならない、という明快なメッセージだった。青少年交流もその歴史受け入れのための一つの手段ということになるのだろう。(ワシントン 古森義久=前中国総局長)
        
杜父魚文庫
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