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角さん更に4億円? 渡部亮次郎
これを報じたのは「文芸春秋」2001年2月号。元新潟県刈羽郡越山会(田中角栄後援会)会長木村博保氏による「私は見た 田中角栄4億円受け取りの現場」とする手記で「金大中拉致事件28年目の真実」とある。

4億円といえば万円札で40Kgもある。とても大人1人で持てる重さではない。木村氏は中身を調べたわけじゃないから、金額に誤解があったと思う。何がしかのカネが渡ったのは事実だろうが。

古い話だ。昭和48(1973)年の春ごろ、東京のホテルで在京韓国大使館の公使を自称する人物と会ったことがある。韓国大使館に公使が何人いるか知らないが、その人物のくれた名刺には公使「金在権」とあった。

当時は朴大統領のライバルだった金大中が東京に長期滞在し、盛んに反朴運動を展開していたので、公使に金大中を「何時まで放っておくのですか」と尋ねた。

それに対して公使は「ウフフ、そのうち何とかなりますよ」と答えて無気味だった。それから数ヶ月して金大中拉致事件が起きたのである。金在権は実行犯・金東雲の仮名だったようだ。

事件が起きたのは1973年8月8日のこと。東京の靖国神社の下にあるホテル グランド・パレスの部屋から金大中が何者かによって拉致された。

行方はようとして分からなかったが、5日後の13日、ソウルの自宅に帰ってきた。一方の金東雲は地下に潜ったまま。アメリカに住んでいたことがある、と聞いたことがあるが、確認は仕様がない。

何国人であれ、日本を訪問していた人物が国外に拉致された事は、日本政府の立場からすると、明らかな主権の侵害である。内外のマスコミも大騒ぎしたが、韓国政府は言を左右にしたまま。

11月2日、当時の金鐘泌首相が朴大統領の親書を携えて来日し、いわゆる「政治決着」の幕切れとなった。

冒頭の木村氏の手記によれば、李という日本担当相が、新潟にいた木村氏のもとを訪れて、田中首相との私邸での会見を依頼。李氏は事件発生から約2カ月後の10月19日の朝、木村氏の案内で目白の田中邸を訪れた。

丁度その時、日本外務省から面会妨害の電話が入ったが、田中首相は他の来客すべてが帰ったあとで李大臣と会った。

「その時、李氏は明らかに2億円の入った紙袋2つを差し出してひとつは奥様にと言い添えた。そしたら田中首相が大平クンにも一つやらなきゃいかんなァといいながら色紙(領収書代わり)を書こうか、と聞いたが李氏は結構です、と断った」という趣旨のことを手記に書いている。

その数日後、金大中の自宅軟禁状態が解除された、という。しかし。新札で100万円は100g、1000万円は1Kg, 1億円は10Kg,4億円は40Kg.李氏は元職業軍人だったが40Kgを両手にぶら下げる力はなかった(私も李氏に面会した事はあるから)。

杜父魚文庫
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