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池田低姿勢と泥鰌流の低姿勢  古沢襄
1960年春の頃だった。先輩で共同通信社の解説委員長だった和田清好さんが政治部のデスクにやってきて「池田のところに行くが来るか」と言う。岸内閣がヨタヨタ運転のダッチロールに入る頃で、池田ら反岸の動きが連日の話題をさらっていた。

喜んで和田先輩のお供をして東京・信濃町の池田邸の門をくぐった。玄関を入って右側に小さな応接間があるのだが、ドテラ姿の池田がすぐ奥の間からでてきた。かなり酒を飲んでいる気配。和田さんが「うちの若い者です」と紹介してくれたが、池田は単刀直入に「ワーさん、どうする?」ときた。

奥の間から池田派の家の子郎党たちがかなりメートルがあがった声でワイワイガヤガヤが聞こえてくる。当時の政治情勢をいえば、昨年(1959)6月に通産大臣に就任した池田だったが、反岸閣僚と連れだって辞任すれば岸内閣は倒れる・・・当然のことながら池田派内から主戦論が高まっていた。

「ワーさん、どうする?」の意味は通産大臣の辞表を叩きつける時期なのか、ということだった。和田さんは思いがけことを言った。「岸に協力してやりなさい。今、あなたが辞任すれば岸内閣は倒れるでしょう。岸を倒して政権を取っても半分の勢力しか手にはいらない。岸に協力して全部いただくのが上策です」と慎重論を唱える。

駆け出しの政治記者だった私は「なるほどこれが政党記者なのか」と感心するばかり。和田さんは共同退職後、池田派の宏池会事務局長になっているから、池田との信頼関係があつい。

酒が入っていた池田だったが、突然、顔をくちゃくちゃにして和田さんの手を両手で握りしめ「ワーさん有り難う。これで踏ん切りがついた」。奥座敷からは宏池会の家の子郎党が酒を飲んで気炎をあげる声が聞こえてくるが、池田の腹は決まったな、と私も感じた。帰りの車の中で「池田は辞任しないよ。岸に協力する」と和田さんは言った後、「しかし政権を取ったら岸とは喧嘩別れだな・・・」。

池田が政権獲得を本気になって考えたのは、1957年の政策集団・宏池会を作った頃である。岸のような対決型の政治主義を避けて、「所得倍増」のスローガンに掲げて経済重視の内政主義を打ち出した。政権獲得後、「低姿勢」と「寛容と忍耐」を全面に打ち出している。「寛容」は宮澤喜一、「忍耐」は大平正芳の発案だという。

野田内閣の低姿勢は池田政権を見習ったといわれている。だが安保騒動の政界舞台裏を身をもって経験した人たちは、すでに80歳を越えている。多くはこの世を去っている。実体験していない野田氏が、聞き語りの池田氏の真似をしても無理がある。泥鰌流の低姿勢を壁にぶつかりながら自分で作るしかない。

杜父魚文庫
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