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政権禅譲の系譜 渡部亮次郎
首相小渕恵三が在任中、突如、脳梗塞で死亡したとき、既に意識を失っていた首相が官房長官青木幹雄を首相臨時代理に指名したとされたと青木自身は表明したが、これは医学上、絶対不可能なことである。

しかし青木ら5人は密室で幹事長森喜朗を後継首相候補に指名、ここに日本政治史上初の「政権禅譲」が実現した。耳慣れぬこの言葉は、佐藤栄作首相からの政権移譲に恋焦がれた福田赳夫の口から初めて出て当時、流行語になった。

元は中国で帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲ることを表現したことば。尭が舜に、舜が禹に帝王の位を譲った類と広辞苑にはある。

佐藤から禅譲に恋焦がれた福田ではあったが、政権末期の佐藤には福田のライバル田中角栄を黙らすだけの力は残っておらず、やむを得ず闘った福田は田中に惨敗した。したがって森政権の誕生は親分福田のなし得なかったことを実現したものであり本人には格別の感慨があったであろう。

禅譲ではなかったが、戦後間もなく吉田茂が政権を手にしたのは鳩山一郎から譲られたものだった。鳩山は戦後1回目の総選挙で第一党となった日本自由党の総裁として首相に指名される寸前、占領軍によって公職追放。止むを得ず吉田に後事を託した。

これは事実上の禅譲だったから吉田は鳩山の公職復帰後はその地位を鳩山に返還すべきだったが、居座りつづけた。鳩山が脳溢血を患ったことも吉田居座りを許した。

怒ったのは鳩山側近、特に河野一郎は国会で悉く吉田に噛み付き、吉田は蛇蝎(だかつ=へびとサソリ)の如く河野を嫌った。やがて河野はそれが原因で財界から敬遠されて政権を取れぬまま67歳で死んだ。

政権の盥まわしよろしく密約によって政権のやり取りをしようとした事は2度ある。初めは佐藤の実兄たる岸信介が大野伴睦への密約。右翼や財界人が立会い、念書を交わしての約束だったが、実現せず、岸は60年安保の餌食になって下野。

大野は怒って脳溢血でこの世を去った。病床の大野の病状を毎日、発表していた人を世間は秘書だと思ったが、実は読売新聞記者のナベツネこと渡辺恒雄。今は社長を経て会長。85歳である。

その次が福田と大平の密約。保利茂が見守る中、鈴木善幸と園田直が立会い署名までしたが、福田は「秘密」をいいことに密約などなかったように振る舞い、「世界が福田を呼んでいる」と総裁選挙に出馬。

怒った大平は田中角栄の力を借りて、力で福田を総理の椅子から追い落とした。よせばいいのに福田は悉く、大平の政権運営を虐めた。その所為で大平は総選挙中に心筋梗塞で急死。田中、大平、小渕の共通項は糖尿病。福田だけが長生きした。(敬称略)

杜父魚文庫
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