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戦後体制を謳歌して滅亡の危機に向かう 西村眞悟
二年前のルーピー鳩山由紀夫から始まって今のペテン師菅直人に至る民主党内閣を特異な内閣と思いがちだ。しかし、これが、戦後体制の常態でありその正統派の姿なのだ。

戦後体制を前提とする限り、この民主党内閣の姿が「ありうべき正統な姿」である。そして、菅直人の唯一の功績は、身を以て、国民が六十六年間、どっぷりと漬かって生きてきた戦後という時代の、醜さ、ずるさ、無責任、腐臭、醜悪な匂いを、国民に見せ付けたことである。

さらに、東日本大震災の被災地の国民におかれては、この戦後体制のままでは、国家と国民の危機を克服できないということを命を犠牲にして示された。

従って、我々は、東日本大震災の犠牲者の思いを忘れず、戦後体制が生み出したこの民主党内閣の姿を鏡として、戦後からの脱却と真の国家の再興への具体的な展望を開かねばならない。これが真の慰霊である。

かつて安倍総理は、「戦後体制からの脱却」を唱えた。しかし、詐話師でありペテン師である菅直人の詐術的質問に絡め取られ、戦後体制からの脱却を唱えながら戦後体制に逃げ込むことによってその質問に応えた。

即ち、昭和天皇の発せられた「開戦の詔書」に副書した祖父岸信介国務大臣の行為をして、間違った詔書に署名した間違った行為であると、総理大臣として答弁した。

この答弁をした者が、総理大臣として靖国神社に参拝できなくなるのは必然であった。そして、この時、安倍内閣の命脈はつきた。

真の戦後体制からの脱却とは、「天皇陛下の詔書」の正当性を回復することにある。「天皇陛下の詔書」を否定して我が国に未来はない。

時あたかも、八月十五日が迫っている。本年の八月十五日は、靖国の英霊に加えて東日本大震災の犠牲者の霊に、今生きる我々が戦後からの脱却を誓い、その実践に向かう責務を負う日となっている。

この観点から、八月に入ってから始まっている戦争の回顧番組等のマスコミ報道と民主党内のゴタゴタについて触れておきたい。

まず、民主党のこと。現在、八名ばかりが菅の後の代表になりたいと名乗りを上げている。この面々を脱戦後という観点から整理してほしい。

これらは、脱戦後と言うより、戦後体制の中で快適に生きてきた優等生である。多くは、あの平成五年の日本新党ブームに乗って初当選し、そのまま左翼組織の選挙支援によって歩んできた面々である。従って、国家に対する思い、我が国の国体に対する思いにおいて決定的に未熟である。従って、言っておく。皆、鳩山、菅と五十歩百歩の連中だ。

次に、マスコミの戦争回顧の視点について。今、東日本大震災の直後である。何故、この重大事態が戦争回顧に反映されないのか。マスコミの怠慢である。というより、我が国のマスコミこそ戦後体制の守護者なのだ。しかし、既に国民は、戦後のマンネリズムはもうたくさんだと思っている。
 
まず、「開戦の詔書」に何とあるか!当時、我が国の電力、我が国の工場、我が国の船舶・航空機は何で動いていたのか。石油ではないか。七十年前その石油を止められた。石油を止められて、我が国の産業は生き残れるのか。千万を超える失業者が生まれれば我が国はどうなるのか。その事態に直面したのが昭和十六年である。そして、開戦に至ったのだ。

そこで今、菅直人の思いつきによって、我が国の発電量の三十パーセントを占める原子力発電は来年になれば全て稼働を停止する。

また、「脱原発」とは、現実的には再び石油に全面依存して電力をまかなうことである。太陽光とか風力とかで我が国が必要とする電力などまかなえるはずがない。しかし、無国籍のペテン師と守銭奴の策謀に引っかかった論者は、太陽光とか風力に飛びついている。これが我が国の安易な風潮である。

従って、今こそ必要な戦争回顧とは、七十年前の「電力が止まれば我が国はどうなる!」という開戦を決定づけた事態を国民が見つめ、脱原発のプロパガンダに流されて、三十パーセントの電力を削減したあと、再び全面的に石油発電に頼ろうとする風潮を「歴史の教訓」の観点から点検することではないか。

何に依存してエネルギーを調達するかという問題は、国家の運命と国民の命に関わってくるということを、今こそ開戦の原因を回顧することによって摘出すべきである。

以上が、開戦の決定に関する回顧ならば、次は、何故戦争に負けたのかという回顧に進まねばならない。そして、この回顧からも、現在の我が国が取り組まねばならない課題が明らかになる。

海洋国家である我が国は、シーレーンを切断されて敗戦に至ったのだ。シーレーンこそ我が国の生命線である。単に六十六年前にそうであったというのではなく、現在もそうなのだ。

従って、現在、我が国のシーレーンは大丈夫かと点検しなければならない。そうすれば、原子力潜水艦を保有し、国産空母六隻を建造中の中国が、確実に我が国の生命線であるシーレーンを扼し支配しにきていることが分かる。

つまり、七十年前に我が国が開戦を決断した事態に追い詰められ且つ敗戦を決定付けた同じ状況が、中国の軍事力増強によって造られようとしているではないか。

マスコミが、「歴史の教訓」によって国民に突き詰めねばならない課題は、我が国がシーレーンを確保して安泰を確保するには、如何にすべきか、という問いかけであるべきだ。

そして以上は、二年前のペテン師の選挙によって選ばれた戦後体制の優等生の面々には到底対処できない事態である。

しかし、来年くらいまでは、彼らは選挙を回避して延命するであろうが、そこまでがますます深刻度を増す周辺状況下におかれた我が国家の限界である。我が国再興の為の時間はあまりない。よって、この八月を転機として、草莽による戦後体制からの脱却即ち回天による国家再興という国を愛する者の最もやりがいのある時期、つまり命をかける時期に入らねばならない。
 
従って、諸兄姉!現在のような退廃せる政治のまっただ中においてこそ、英霊と共にある忠臣が出るといわれるではないか。英霊のおられる靖国神社そして郷里の護国神社に、各々草莽たるの思いを新たに参拝しましょう。

杜父魚文庫
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