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菅首相は暴君ネロか 古森義久
菅直人首相や菅政権をアメリカのメディアがどう報じているか。雑誌「正論」に私が書いたレポートの続きです。

この部分では菅首相たちはローマ時代の暴君ネロにもたとえられています。

                 ========

しかし東日本大震災はもちろん重大ニュースとしてアメリカの新聞でもテレビでも、ある いは雑誌でまで微に入り、細をうがち、報じられた。地震、津波、原発と、三重打撃をくらった日本の国民や社会の様子がさまざまな角度から広範に伝えられ た。そんな報道の洪水のなかでも、基調となったのは日本国民が史上稀な惨禍にあったのに、冷静さ、沈着さ、そして秩序を保ったことへの賞賛だった。

たとえばCNNテレビのキュン・ラー記者は震災直後の三月十二日、仙台から次のように実況中継を結んでいた。

「日本の被災地の住民たちは冷静で自助努力と他者との調和を保ちながら礼儀さえも守っています。ともに助け合っていくという共同体の意識でしょうか。調和を大切にする日本社会の特徴でしょうか。そんな傾向が目立つのです」

ウォールストリート・ジャーナルの三月十二日付の社説も日本からの同紙記者たちの報道をもとに以下のように論じていた。

「日本の国民が最大級の地震に立派に耐えたことはすばらしい。東京都民もストイックな静かさを保っていた。ハイチの地震や中国の四川大地震での住民の態度とは対照的だった。この地震で自国を守った日本国民のパワーは近代国家の業績として決して見落としてはならない」

要するに日本国民への礼賛である。ところが日本の政治指導者への認識となると、このトーンは一転してしまうのだ。

本来はイギリスの新聞だが、アメリカでも発行され、読者の多いフィナンシャル・タイムズが六月三日付のコラムでまさにこの点を突いていた。

「日本の政治層は一般住民の音楽の調べからは外れている」という見出しの同コラムは、大震災では日本の国民は礼節を保ちながら行動したが、日本の政治指導者はまったくそうではない、と批判していた。コントラストの強調でもあった。

以下のような記述である。

「暴君ネロはローマが燃えていても、のんびりしていた。だが日本の政治家たちはもっと 空気を読まず、ささいなことで争い、だましあった。日本国民は秩序と団結を保ち、禍を転じて国家の改革の機会にしようと願う気配まであったのに、政治指導 者の無策に深く失望させられたのだ」

日本の国民はまともなのに、政治指導者はだめだというわけだ。この場合の政治指導者とはまずは菅直人首相以下の民主党首脳のことである。そして自民党の指導者たちもそこに含まれると考えてもよいだろう。(つづく)

杜父魚文庫
| 古森義久 | 06:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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