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「刺し違え」を巡って 岩見隆夫
政治家の本質を改めて問いたくなる昨今だ−−。

謀略家の見本として歴史に名を残すジョゼフ・フーシェ(1759〜1820)は、フランス革命の時代、革命議会の一員として権力闘争を生き抜いた。ナポレオンの施政下では右腕となる。

かつて、政界遊泳術にたけていた川島正次郎元自民党副総裁を<江戸前フーシェ>と呼んだこともあった。政界は権謀好きだ。

のちにオーストリアの作家、シュテファン・ツバイクがフーシェの伝記を書く。酷評した。

<天性の裏切り者、いじましい策謀家、ぬらりくらりとした爬虫(はちゅう)類的性格、職業的な変節漢、下劣なデカ根性、みじめな背徳者……>

なぜ、そんな人物の伝記を、と思うが、ツバイクは、

<卓越した人物が万事を決定することはめったにない。もっと立ち回りのうまい種類の人間が決定しているのだ。フーシェの伝記こそ、そうした政治的人間の類型学に寄与するものでありたい>と書いている。

いずれ菅直人首相の伝記も出るだろうが、目下の菅は連日、フーシェさながらの面罵を浴びせられながら、平然と受け流してきた。内心、平静のはずはないが、もはや言葉に不感症のように映る。

菅は明らかに孤立している。与野党の反菅勢力はそれでも首を取れない。過去、首相に退陣を迫る場面は何度かあった。

代表例は1979年秋、大平正芳首相に辞任を求める政敵、福田赳夫との40日抗争だ。ヒザ詰めで迫る福田に大平は頑として応じない。業を煮やした福田の師匠、岸信介は、

「刺し違える覚悟でやれっ!」とけしかけるが、ラチがあかなかった。

刺し違え、は相手を刺して自分も死ぬ。今回も退陣時期を示そうとしない菅首相に対して、それらしい動きがあった。

6月15日の民主、自民、公明3党幹事長会談で、民主党の安住淳国対委員長が、「私と岡田(克也・幹事長)さんで『菅降ろし』をする。できなければ2人とも辞表を出す」

と述べたのが発端で、その後、玄葉光一郎国家戦略担当相(政調会長)が自民党の石破茂政調会長に抗議辞任の決意を伝え、仙谷由人官房副長官(代表代行)も同じ意向だったという。

ところが、自民党の石原伸晃幹事長が講演で、これらの刺し違え説を暴露したこともあって話がこじれ、立ち消えになった。

石破は<内密の話>として、石原に耳打ちしたのに、それを明かされて不快感を示したが、あとの祭りだった。石破にはその前にも苦い経験がある。

麻生政権末期の09年7月、衆院解散断行にはやる麻生太郎首相を抑えるため、石破農相と与謝野馨財務相は、「首相を辞めてもらうしかない。2人が大臣の職を賭して直談判しよう」

と辞表を懐に首相官邸に乗り込む。しかし、麻生は、

「そんなこと言ったって後の総裁を一体誰がやるんだ。おれの後なんて誰もいないじゃないか」とまったく耳を貸さなかった。辞表を渡そうとしたが、

「持って帰ってくれ」と一蹴され、2人は懐に戻してすごすご引き揚げている。

刺し違えの成功例は少ない。しかし、岡田、仙谷、玄葉、安住が辞めれば、与謝野、石破が辞めれば、首相の首をすぐ取れないにしても、流れは変わっていた。だれもが、それぞれにフーシェ的だ。(敬称略)

杜父魚文庫
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