<< 松本復興相の後任、仙谷氏断る  古沢襄 | main | 日本人の心に内存するもの 加瀬英明 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |







会津の歴史とこの度の震災 西村眞悟
六月の末日から七月の四日まで、東京、福島の猪苗代、兵庫の三田そして四国高松と巡ってきた。そして、国を憂う多くの人々に語ってきた。

その中で、福島県会津の猪苗代のことを書いておきたい。

猪苗代は昔の会津藩である。会津藩猪苗代湖をたたえる盆地の東の山麓に磐梯山を見上げてホテルインステル猪苗代が建っている。そこに福島第一原発二十キロ圏内にある双葉町から九百名の方々が避難されて住んでいる。そのホテルで、七月一日、私の講演会が開かれた。
 
私にとって、会津と言えば思い出すのが、京都の黒谷だ。

幕末、京都守護職に任命された会津藩主松平容保は、藩士を率いて上洛し、黒谷に会津本陣を構えた。それ故、維新の動乱の中で郷里を遠く離れた京都で命を落とした多くの会津藩士の墓が黒谷にある。

私は、二十歳の頃、毎日この黒谷の会津藩士の墓の前を歩いていた。この黒谷の墓の前を北に抜けて真如堂に出て、左に行けば大学、右に行けば住んでいる学生寮だった。

この会津藩士達は、京都の治安と皇居を守るために死んだ。禁門の変で会津の守る皇居を攻めた長州藩士の墓は、黒谷から南東二キロほどの東山霊山にある。
 
猪苗代湖を左に見て山麓に登るとホテルの左手の森に八幡神社がある。ふと、京都黒谷に眠る会津藩士の何人かがこの八幡さんに参ったのではないかと思われたので、私も参拝した。

そして、ホテル玄関に着くと、講演の主催者である医師の野崎豊氏が待っていてくれた。その姿勢は、会津藩士を思わせる風情であった。

午後六時からの講演会には、「双葉町避難所自治会」の会長をはじめ双葉町の方々も参加された。講演時間は一時間半の予定であった。

私は、次の通り、頭の中にわき上がった連想を語ることから始めた。

まず、学生時代京都黒谷の会津藩士の墓の前を何時も通っていたこと。京都と御所を誰よりもよく守った会津が、京都の治安を乱し御所を攻めた長州によって賊軍にされた。そしてここ会津は、戊辰戦争最大の激戦地となった。

攻めてきたのは長州を中心とした官軍。その長州の主力は奇兵隊である。そして、奇兵隊の実態は、無頼の集団である。士道を解さない下卑の徒が最新の西洋式武器を持たされ、敵に対して乱暴狼藉を行うことで出世できると思いこんで会津に攻めてきたのだ。従って、そこには、武士の情けはなく、ただ勝者の傲慢と暴力があるだけだった。

その結果、飯森山で自刃した白虎隊の少年藩士を含む多くの戦没会津藩士、また婦女子の死体は、埋葬することを禁じられ放置することを強制された。

戦が終われば、敵味方の区別なく戦死者の霊を弔うのが我が国の士道である。しかし、戊辰戦役の会津に於いては、奇兵隊の成り上がり者にその士道はなかった。

そこで、現在の権力を眺めよう。菅直人が総理大臣であり、長州出身を自慢して、民主党内閣を奇兵隊のような内閣にしたいとぬかしている。

その菅内閣の時、巨大地震が会津を襲った。そして、菅内閣は身の毛がよだつ冷酷な措置をしたのだ。双葉町の皆さんの前で、その状況をお伝えすることをお許し頂きたい。

菅内閣は、福島原発周辺では、犬や猫は保護することを認めても、人間を救助し遺体を埋葬することを禁じたのだ。

犬と猫の救助に入ったNPO組織は次のように報告している。

「原発近くの浜辺には、津波で流された遺体がたくさん放置されていました。・・・海辺を走ると至るところに遺体がそのままの形で残されています。」

まことに、菅直人が言うように、菅内閣は奇兵隊だ。かつて奇兵隊が会津藩士の遺体の埋葬を禁じたのと同じことを、この度、菅直人がしている。

講演を終え、質問に答えた後、双葉町避難所自治会の会長が挨拶された。その時、会場に掲げられた「国旗・日の丸」を指さされ、「被災後、日の丸を見たのは初めてです」と涙された。そして、私に言われた。

「原子炉事故により、その周辺から退避させられた我々の前で、原子力発電が必要だと言い切ってくれたことに敬意を表します。私も、日本には原子力発電が必要だと確信しています。」

その後、会食の際、私が自治会長に、双葉町の皆さんの中で、原子炉周辺にいたため、放射能汚染により体に不調を訴える方はおられませんか、と尋ねた。すると会長は答えた。

「放射能が原因で不調を訴える者はおりません。私は、むしろ元気になったんです。それで、女房が驚いています。」

私は、この自治会長の答えを聞いて、四月十日に、福島原発正門前で、「ここは安全です」とテレビの前で言い切っていた放射能防御学専門の高田純札幌医科大学教授の診断の正しさをが裏打ちされたように思った。

つまり、菅直人がした、遺体放置という冷酷な措置に科学的根拠はないのである。しかしながら、菅内閣は、自らの過ちを隠蔽するために、高田純教授の明らかにした事実を封印し、風評被害を世界的に拡散した。つまり、自己保身のために国益を犠牲にした。

翌朝、私は、野崎医師の薦めで会津藩祖、保科正之を祀る土津神社に参った。それから、飯森山の白虎隊士の墓に手を合わせて空港に向かった。

今NHKでは、江という徳川家光の母の物語を史実などはそっちのけで放映している。その江は、家光の異母弟である保科正之を殺そうとした。

思えば、会津は、藩祖からして、何時も権力の横暴に直面しながら士道を育み育ててきた歴史をもっている。

ところで、一昨日、松本という災害担当大臣とやらが、被災地で、偉そうな態度で暴言を吐いていた。かつて会津に来た奇兵隊の連中と同じではないか。松本某は、人間としての節度も分からない気の小さい小人に「権力」を与えればこうなるという標本である。

まことに、菅内閣は、菅直人の言うとおり奇兵隊だ。そもそも奇兵隊の奇とは、正規ではないという意味の奇である。

菅も松本某も、その奇だ。人間としての基本がないまま権力をあたえられているだけのことだ。その権力を与えたのが、前の選挙の有権者だから、無念だが、自業自得。

よって、次の選挙を以て、一挙に国家再興の逆転を期そうではないか。これほどの、小人による権力の私物化と売国的所業を見せつけられているのだ。国家の再興は、之に発憤すれば、必ずできる。

杜父魚文庫
| - | 20:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







スポンサーサイト
| - | 20:04 | - | - | pookmark |







コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://kajikablog.jugem.jp/trackback/999111
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>

SEARCH

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENT

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE