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昭和の日に思う 西村眞悟
本日、早朝、門に日の丸を掲げた。思えば、振り返れば振り返るほど、ますます昭和天皇と伴にあった昭和の日々は、日本の国体が世界史に燦然と輝く時代であったと思う。

これは、明治天皇との日々とはまた違う意味で輝いているのである。明治天皇の御代は、我が国が開国して、直ちに世界史に参加して勇戦敢闘し、遂に維新から三十八年後、ロシアを打ち破り世界の強国に登った時代だった。

昭和天皇の御代は、明治に登った世界列強の一員として苦闘し、遂に欧米列強を相手に大戦争を敢行して敗北するも、太陽の如く再び大国に登った時代である。

明治、大正、昭和と続く時代の中で、我が国運は、急上昇し、苦闘し、墜落し、また急上昇した。そして、この上向き下向きのいずれの波の中においても、日本国民は天皇とともにあった。
 
明治が、天皇とともに近代化という坂を急上昇しえたことは、もちろん類い希な輝かしいことであるが、新興国が名君を擁して急上昇して世界史に登場する一つの例としては、世界史の中で他にも見いだしうることである。

しかし、昭和は、他には決して見いだしえない。徹底的敗戦を喫して軍事占領された民族が、勝者から徹底的に悪と貶められても、国民が当然の如く同じ君主を擁して、その敗戦の傷手から立ち上がり再び大国へと急速に回復することは世界史において、唯、我が国の昭和の御代にだけに見いだせることである。

世界史においては、徹底的敗戦時の君主は、国内に留まって民衆に殺されるか国外に亡命するか、その二つに一つしか見いだせない。

では、昭和天皇の時代は、何故この世界史に唯一のことと成りえたのか。それは、天皇が権力ではなく、「権威」だからである。

日本を断罪する勝者の復讐劇だった東京裁判の裁判長ウェッブは、裁判後かなり経ってから、「日本の天皇とは何ですか」と本国で質問を受けた。彼は、答えた。

「神だ。あれほどの試練を受けても国民の信頼を失わないのは神だ」

昭和二十年九月に、我が国に進駐した連合軍は、直ちに我が国の言論を徹底的に検閲したうえで、「真相はこうだ」という日本を悪者とするプロパガンダをNHKを通じて国民に刷り込み、国民をして戦争中及び戦争前の我が国家のあり方を「悪」とみなして、その指導部を恨むよう誘導した。

また、ソビエトのスターリンや中共の指導部は、天皇の存在を否定して共産主義を信奉するよう日本軍捕虜を洗脳し、その洗脳教育優等生となった捕虜から率先して祖国日本を「赤化」する使命を与えて帰国させていた。

このような国内状況の中で、昭和天皇は昭和二十一年から被災した国民を励ますために、全国行幸を開始された。それも、厳重な警備はおつけにならず、宿舎も時には学校の講堂に布団を敷いて休まれるという行幸を続けられたのだ。

そして、国民は、その天皇のお姿を拝して、元気になり、万歳を歓呼して歓迎し、復興へ邁進した。この行幸の御様子は、「天皇様が泣いてござった」という本に詳しい。この本の中で、ソ連から帰ってきた元兵士が、佐賀に行幸された天皇に文句を言おうと待ちかまえていたが、天皇が近くに来られたとき、自分の考えが誤っていたと泣きはじめた様子が書かれている。

敗戦直後の日本国民は、身近に行幸された昭和天皇をありがたくお迎えして勇気づけられたのだ。この様子は、我々日本人には自然である。

しかし、日本を占領していた連合軍には異様な光景、あり得ない光景に見えた。ウェッブのように「神」としか表現できない神秘的力と思えたのかも知れない。

そして、彼らには、この天皇と国民との絆が、日本が脅威となる原因そのものに見えた。従って、彼ら占領軍は、日本を弱体化するために「大日本帝国憲法」を否定した「日本国憲法」を制定したのである。

この「日本国憲法」は、徹底的な国民主権と民主主義と自由と平等と個人主義の人権思想を特徴とする。従って、GHQ(占領軍総司令部)という「日本国憲法制定者」は、国民主権と自由と平等の思想を注入しておけば、日本における天皇の存在は、いずれは日本国民により否定されるべきものとしていたのである。フランスが、自由・平等・博愛という理念のもとで、ルイ十六世の首を切ったように。

GHQ!一見美しく見える人権思想を武器として使う、何という悪意に満ちた奴らであろうか!
 
ところが、各地を行幸される天皇への国民の態度は、「日本国憲法」施行(昭和二十二年五月三日)後も変わらなかった。

異国人が一片の紙に「憲法」を書いたことくらいで、天皇と国民の二千数百年にわたる「皇(すべろぎ)との絆」という我が国の根本規範は何ら変わらなかったのである。

昭和天皇は、敗戦の焼け野が原において、御一身を以て、天皇と国民との「皇との絆」がかわらないことを世界にお示しになられた類い希な名君であらせられる。

そして今、今上陛下は、この度の三月十一日、東日本大震災に際し、十六日にお言葉を発せられて悲嘆の中にあっても気品を失わない国民を讃えまた励まされ、この連休の前後に、皇后陛下と伴に根こそぎ破壊された被災地の国民を激励に廻られている。

被災地の国民は、昭和天皇の行幸の折りと同じように、ありがたく両陛下をお迎えし励まされ、心から喜んでいる。そして、被災地は復興に向かう。

我が国の「皇との絆」は、今も何もかわっていないのである。この度も天皇のかけがえのない御存在が被災者と全国民の前に現れた。危機、国難において、何時も現れる天皇と国民とのかわらぬ絆を思うとき、明治天皇の次の日露戦争時の御製を思い出す。

  敷島の 大和心の 雄々しさは
           ことある時そ 現れにける 

よって、昭和の日に改めて思う。我が国の真の根本規範は、明文のない太古から、何らかわっていない、と。即ち、天皇とは、権力のことではなく、権威のことであるから、かわらないのである。

これを言葉で表せば、大日本帝国憲法第一条から第三条に言うところのものとなる。

 「大日本帝国は、万世一系の天皇これを統治す」
 「皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す」
 「天皇は、神聖にして侵すへからす」

なお、本日の昭和の日に一日先立つ昨日四月二十八日は、敗戦により軍事占領された我が国の独立を定めたサンフランシスコ講和条約発効の日である。本年は、発効から五十九年の年である。

この日を「主権回復記念日」として祝う集会が、井尻千男さんを代表世話人として靖国神社境内の靖国会館で開会された。本年は、十五回目の開会になる。

この集会に招かれたので上京し、靖国会館で登壇までの間、主催者側の挨拶の後、自民党議員の話を聞いていた。

そして、この国難のなかにおける、自民党の危機感の無さに驚いた。彼らは村山富市談話を信奉するGHQが造った戦後の申し子ともいうべき谷垣総裁で、まだいけると思っている。

これでは、菅総理の仕掛ける自社さきがけ時代への回帰、つまり大連立という戦後政治の延命策に気が移り、世論調査で(たった)9%の支持で首相にしたい人のトップになった理念無き小沢一郎的政治手法に翻弄され、追われたネズミの群れのように、そこになだれ込みかねない。

事実、昨日、自民党の幹部としてトップに登壇した自民党○○会長は、元小沢一郎氏の「文字通りの側近(姉)」(側室ではない、、と思う)であった。

(そういえば、あの姉さん、一緒に酒を飲んでたあの時、ね〜え、小沢さーん、西村さん、過激だから注意してよ〜、と言っていたなー)、と思いだしていたら名を呼ばれた。

そこで、登壇したとき、これだけは言わねばならないと思ったことを言った。即ち、「日本国憲法」の無効を確認せずして我が国の「主権回復」はない。「日本国憲法」は我が国を「主権を持つ国家」とはしていないからである。

「大日本帝国憲法」の定める天皇大権の自覚無き「主権国家」はありえない。厳しい内外の情勢に対処するため、我が国は、今こそ、その大権を行使するときである。天皇大権とは即ち、軍の編成大権、軍の統帥大権、そして、戒厳大権。

杜父魚文庫
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