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公共のために尽くす人々の姿 丸山公紀
大震災で復旧・復興に向け、自らが被災されているにもかかわらず、自分の生活基盤を後回しにして、日夜、公共のために尽くしている、働いておられる姿が多いことに心打たれる。

災害は確かに悲惨であるが、それにもめげずに必死になって、人々の日常生活を少しでも戻すために手助けする姿に、人はやはり崇高なものであり、人のために役立ちたいのだという確信を持つとともに、その毅然たる行動に改めて厳粛な思いがする。また救われる思いがする。

心痛めることが多い中で、逆に全てが失われても、自分だけ救われたいという気持ちの前に、近所に住んでいる老人がまだ家屋に残っていないかを確認したり、避難場所に人々を誘導し、さらに今度は車で海岸沿いに人がいないかを確認したところで、波にさらわれてしまった人。

津波の危機があることを放送し続けて、自らは津波の濁流にさらわた若い女性職員、子供達を避難させようとして犠牲になられた先生、そして妻、わが子が不明であるにもかかわらず、今、まちの復興を優先している人々がいることは、この難局を必ず乗り越えることができる確信を私達に与えているのではないか。

どの人々も死の直前まで必死になって使命を全うしようとし、肉親がどうなっているかわからなくとも、公共に尽くし切ることができる、高い倫理性を日本人は有しているのだと思う。

さらに全国的な「がんばれ日本、かんばれ東北」の動きは、同胞を思う共同体意識の再確認に他ならない。多くの人々が今、自分は何をしたら応援することができるのかを真剣に考えている。

震災は戦争という他国との衝突ではないが、大東亜戦争では国のために斃れられた英霊の方々と銃後の人々が存在したと同様に、犠牲になられた御霊と残されて困難を乗り越えていかねばならない人々、自衛隊、警察、消防、様々な救援組織による必死の復旧作業をする人々、そして心痛めながら少しでも応援したいと思っている人々が存在する点では、よく似ている。

人々のドラマを見聞きするだけ、心動かされるのは、これまで平時の生活では感じとることができない大切なものがあるだと痛感している。

杜父魚文庫
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