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<北風抄> コラム いでよ、平成の後藤新平  宮崎正弘
敗戦、あの廃墟から身一つで立ち上がって奇跡の経済復興を遂げてきた日本が、またまた東日本大震災という未曾有の国難に遭遇した。敗戦に匹敵する惨状だが、今後、いかにして身を起こし不死鳥のごとく復活できるか。懊悩と試行錯誤が続いている。

この災禍を「天佑」と比喩した評論家がいたが、筆者は「天譴」ではないかと思う。

筆者の脳裏を去来するのは関東大震災から復興したときの開発と都市改造プロジューサー=後藤新平のことだ。1923年の関東大震災は東京を焼け野原にした。後藤新平内務相を総裁とする「帝都復興院」がただちに発足し、大手術を開始した。

後藤は「大風呂敷」ともいわれたが昭和通りなど大規模な幹線道路網、区画整理で近代的な首都構築を指導した。彼には大胆で斬新な発想力と優秀な人材の登用、信念に基づいた政治力があった。

現在の我が国の指導者が徹底的に欠いている要素である。

この復興への経緯は歴史の教訓となりうる。「復興院」の前に後藤が手がけた台湾復興が東京大震災以後の復活プロジェクトに大いに役に立った。後藤は台湾民政長官をつとめた。

当時の台湾は蛮族が跋扈し、ペスト、赤痢、チフス、毒蛇が蔓延して不衛生極まりなく、漢族と原住民部族の対立があり、産業は未開のまま、およそ近代化には遠い状況だった。

後藤は台湾近代化、開発のためには何が目的か、その目的達成のためには何が大切かを考えた。明治政府の全面的な支援の下、諸改革を敢然と実行に移した。

まず無能の役人を馘首し、新しい人材を適所に配置した。そのなかには新渡戸稲造も含まれていた(現在の日本は無能官僚が多い)。

住民の自治を尊び、交通網を整備し劣悪な衛生環境を改善し下水道の整備を急いだ。後藤は開発近代化の財源を確保するために地方債券を発行し土地改革をすすめた(だから日本は大胆に「復興国債」を発行すれば良いのである)。

やがて台湾も鉄道が敷設され、基隆港が整備された。産業を奨励し、砂糖、樟脳、茶、米、阿里山の開発が進められた。貿易の拡大にも乗りだし、外国資本が独占していた商船の運搬を民間にも広げ、今日の経済の基礎を築きあげた。

そうだ、いまの日本に必要なのは「平成の後藤新平」である。

さいわいにして日本人は戦後久しく忘れていた民族の精神を回復しつつあり、団結が各方面に見られる。今後しばらくの呻吟、艱難辛苦があろうけれども国家の再建をおこなうに千載一遇のチャンスであり、東北地方のみならず一気に日本国家再建へと歩を進めるべきである。

そのために復興の国債購入者には相続税減免などで優遇し、壮大なプロジェクトを増大すれば雇用の拡大に繋がる。またODA減額や福祉方面の監視強化など冗費節約にも努力し、日本が持つ膨大な海外債権の一部も取り崩せば財源の確保につながる。

後藤新平にならった復興院を中枢に国債の大規模発行、復興税、建築プロジェクトの実践などを早期に開始すれば復興は迅速になるだろう。(この文章は『北国新聞』4月11日コラム『北風抄』の再録です)
  
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 読者の声 どくしゃのこえ DOKUSHANOKOE ドクシャノコエ
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(読者の声)福島原発で下落したウラン鉱株URGに15万株(1.60)を投じた知り合いがいます。今朝、東電(TEPCO)の社長が“新潟の原発一基を再開する”といったことで、原発マフィアは興奮。ウランETF、ウラン鉱山、原発大手が平均6%高騰。

これを最も恐れていたのが中国。なぜなら日本が原発を放棄するのは中国にとって千載一遇のチャンスだから。つまり電力量の差はGDPの差だから。経済力を落とす日本〜原発による経済力で、東・南シナ海を平定する中国。日本が原発を放棄するということは、中国の軍門に下るということです。(伊勢ルイジアナ)

(宮崎正弘のコメント)しかし、もう一つの現実的悪夢は、中国の原発事故です。偏西風で、もろに放射能をあびるのは日本ですから。
  
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 ◎毎日一行●「梅原・御厨・五百旗頭・・・特別顧問に座長に会長・・・《復興会議と掛けて花菱アチャコと解く、心は「情けないやら恥ずかしいやら、ほんまにもームチャクチャでござりまするがな」(某教授から)。
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(読者の声)「志士経営者倶楽部」による第3次東日本大震災救援活動にイスラエルより来日した救援チーム IsraAID (イスラエイド)に同行して、東日本大震災で洪水で被災した方々の避難所、山元町、亘理、相馬と慰問してきました。

文房具、おもちゃなどを東京で大量に買い込み、ハイエースと乗用車で避難所に持ち込み、子供達といっしょにアクティビティーをして遊んだりし、被災した子供達を元気づけてきました。

その様子は、いずれ「みんなでテレビ」にUPされる予定ですので、映像はそちらをご覧下さい。活動の概略は、下記の通りです。

1.14日午前10時〜午後2時 山元町の避難所で被災した子供達とイスラエル救援チームが様々なゲームなどを屋外で共にしました。また、被災地にこいのぼりを掲げました。子供達は、家族を失うなどの試練にも拘らず、元気にゲームなどに参加してくれました。

2.14日午後2時〜午後3時 山元町から亘理まで、海岸沿いの津波に飲み込まれた地帯を巡視、崩壊した家々や、常磐線の線路、転がる車の数々、瓦礫といっしょになった家具、倒壊したお寺、墓場など、その地に立って、被災の現場を見て参りました。たまたま、被災し、1階部分が破壊されるも、かろうじて2階部分が残っている家々を見てまわった折に、その一階が流された家のひとつに被災者負債が、何か残されたものを見に来られており、お話しをお伺いしました。

3.午後3時半。 亘理の避難所に、子供達の為の文房具、おもちゃ、遊び道具を届ける。イスラエルチームは、15日(金)に、本日の山元町と同じようなイベントを実施して16日(土)夜に東京へ戻るということで、そこで別れて我々は相馬の避難所に、ひとりの小学生の女の子に会うために赴きました。

4.相馬の避難所となっている小学校で、ひとりの女の子とそのお父様、兄弟に会いました。実は、震災と大津波で廃墟となった相馬を志士経営者倶楽部の第一次支援部隊が訪ねた折に、泥の中から「出生証明書」を発見しました。それを相馬市役所に照会したところその子が生きていることがわかり、避難所にその小学生の女の子を訪ねたのです。直接その女の子に、ささやかなプレゼントを渡してきました。

いずれ、第二次支援部隊の活動、また今次の第三次支援部隊(イスラエル救援部隊 イスラエイドと同行)の様子は、既にUPされている第一次支援部隊の様子共々「みんなでテレビ」にUPされる予定ですので、ぜひ「みんなでテレビ」の報道をご覧ください。

※「みんなでテレビ」は、以下のURLからアクセス下さい。

http://www.minnade.tv/index.html

回線速度が遅い方のためにYoutubeへのリンク先もつけました。(志士経営者倶楽部常任理事 藤田裕行)

(宮崎正弘のコメント)本当にお疲れ様でした。

杜父魚文庫
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