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英米独+イスラエルによるガダフイ抹殺 クライン孝子
親米のムバラク政権が倒れた後に、今度は反米のカダフィ政権が崩壊しようとしている。この革命連鎖は果たして「民主化要求」の流>れだけによるのだろうか?

原油や穀物が値上がりする中で、ロシア,アメリカの資源マフィア達の高笑いが聞こえてくるようである。日本で報道されているような「綺麗事」では済まない、世界の裏舞台についてお話しさせて頂きます。

拙日記にて2011/01/31 (月) 独メルケル首相、仲介役にイスラエルへ今日飛ぶ(3)と記述したのはエジプト革命発生確か一週間目だったと思います。

あれから約半月後、今度はリビアに革命の火がついてしまいました。エジプトと異なりリビアでは一部の軍隊、さらにチャドなどでかき集めた傭兵に守られガダフイは執拗に首都トリポリにとどまって振り落とされかけた権力の座にしがみついています。

ちなみにこれまで彼が傭兵を雇ってきた理由の一つは彼が自国の軍隊を信用せず、故意に弱めようとしていたからで(今回、そのため、軍隊によるガダフイ離れという現象が地方から起こり、地方における武器倉庫が次々と兵士によって解放されるという皮肉な現象が起こっています)

首都トリポリは独裁者ガダフイの拠点で、彼ら一味は容易にこの城を明け渡そうとしません。。

ところが地方から起きたガダフイ打倒の動きは、今やガダフイ用心棒で固めている(傭兵や、取り巻き連)トリポリにかなり接近し、ガダフイ一族の失脚も時間の問題となっています。

問題はその後です。エジプトのようにムバラク失脚で、ムバラクの味方であるはずの軍が、ムバラクを見放すことで、即民衆の味方になり、民衆の支持を得ることで軍は民衆を軍側に引き付けました。

これにより軍は生き延びることが出来、その権力は無傷となり今後、オモテムキは民主政治を上防止ながら、ウラで軍がエジプトの方向ずけを行なうのはほぼ確実になりました。その路線ははっきりしています。親米です。

一方、リビアにおけるガダフイは2004年ごろからやや、親米に傾いてきましたが、その根っこにある反米を解いたわけではありません。ただ、リビアには強力な武器があります。

リビアはエジプトやチュニジアと異なり、豊富な油田があり、これを武器に国際社会に睨みを利かせているからです。

それだけに、独裁者ガダフイは過剰なほどの自信を持っており、数日前からの一時間以上にわたる民衆へのアッピールもオイル力がそのバックにあること。だからこそ、強気で民衆にガダフイ・プロパガンダをまくし立ててみせる。(あの鬼気迫るガダフイ演説ですが、一説には、麻薬の勢いを借りているとの疑いを掛けられています)

そのガダフイですがかつてはそのの反米政策ゆえに長期にわたって米国や欧米から経済制裁を受け国際的に孤立していたリビアでした。

その流れが徐々に変化し始めたのは例のNYにおけるツインタワー9.11事件以後です。

やがて2004年ごろkらその経済制裁が解除され、先ず地理的に近いEUとの関係が急激に深まります。狙いはオイルです。そのオイル獲得で有利なのは何と言っても地中海に面する欧州諸国です。

中で、もっとも力を入れ熱心だったのはイタリアでした。イタリアのメデイア王で、首相でもあるベレスコーニはそのラテン的な気質ヲ大いに生かして、ガダフイに接近し、二人はあたかも親友のように振舞い始めました。何しろ今やリビアによる対イタリヤのオイル輸出は全体の25%天然ガスは12%を占めるまでに至り、その本元はイタリア国営企業エニ・コンツエルン(別名AGIP)が取り仕切ってきました。

リビアに油田が発見されたのは1955年です。1その後1959年、この国は改めて産油国として仲間入りをすることにしました。した。その頃から、リビア油田を狙っての外国勢力による利権獲得合戦が始まりました。

英米両国などもそうで、以後熱い目を注ぎ、何とかして利権獲得をしようとあれこれ工作を行なっています。とくに米国のオクシデンタル・ペトロリウム社などが熱心で、早速、つばをつけて石油開発を奨め酔うとしていました。ところが1969年ガダフイが登場し、そして権力掌握後は、リビアの石油を国有化してしまいました。

その後、ナセル主義を提唱しソ連に接近していきます。それ以来、42年にわたって、ガダフイは一貫して親ソ反アングロアメリカ主義を通してきたのです。21世紀の幕が開くや、ソ連が崩壊し、新しくロシアとして、資本主義の仲間入りをして英米ロは和解し、接近するにつれ、ガダフイも反英米の方針を余儀なく解区ことになりました。

既に既述したように、イタリアとはべレスコーにとの間に特別の関係などはその延長線上で築いたもので、油田利益では「ア・うん」の関係ガダフイ+ベレスコーニもそれをやたら吹聴して、二人の力を世界に誇示するようになりました。

これには周辺諸国(とくにドイツ)では眉をひそめていたものです。

オイルの魅力は麻薬みたいのもので、これにフランスのサルコジ大統領なども仲間入りしようとサルコジ大統領夫人がイタリア人ということもあって、サルコジ+ベルスコーニ・コンビは急速に親近さを増し、政治にプライベートを持ち込むまでに至りこれを政治家の力量と心得ている気配さえ見せ始めたのです。

チュニジアでのベン・アリと仏マリ女性外相との関係を指摘され彼女は辞任という窮地に追い込まれましたが、これは氷山の一角だったのです。

今回仏大統領:「閣僚の海外バカンス禁止」指示

http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110212k0000m030024000c.html

を出したのがその何よりもの証拠といっていいでしょう。、

その辺ドイツの政治家とは違います。独仏関係で真面目一方のメルケルがサルコジに対して懸命に彼の政治志向=リズムに合わせ、何かとか仲良くして見せようと心掛けるところなど、はたで見ていてときどき気の毒になってしまうのですが、ラテン系の彼らに言わせると「ドイツ人は真面目すぎて息が詰まる」といいい、とりあおうとしません。、

一方でこれを苦々しく見ている国もドイツだけではなくありました。英米両国です。

1969年、いやその昔の1959年のことリビアの油田物語(いきさつ)には何度も、煮え湯を飲まされており、忘れたふりをしているものの、腹の中では煮えくり返る恨みがあります。

とこういういきさつを私も含めて、当地のジャーナリストの間では今回のリビアにおけるガダフイ失脚には、どうも間接的とはいえ、英米独+イスラエルグループによるガダフイ抹殺=消しではなかろうかと、真偽のほどはさておき、そうした憶測をしています。

今回この仲間からロシアが抜けているのはロシアはリビアとは旧友の仲であり、ロシアによるリビアへの武器輸出は、群を抜いているというウラ事情があります。

独首相がカダフィ氏非難、EUは協定協議中断

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110223-OYT1T00299.htm

拙日記にて2011/01/31 (月) 独メルケル首相、仲介役にイスラエルへ今日飛ぶ(3)と記述したのはエジプト革命発生確か一週間目だったと思います。ムバラクラインで石油もふくめて緊密な関係を築いていたにイスラエルです。

エジプト革命で一体どうなることか心配していたさなか、メルケルは重要6閣僚と共にイスラエルへとび発ちました。いやその前日にはヴエスタベレ独外相もイスラエルにいたのです。その入れ替わりという形でメルケルはイスラエル訪問をしています。

偶然とはいえ、今回のこの事件では三人の女性がガダフイ打倒に大いなる貢献を果たしています。

一人はメルケル首相、(独)
二人はヒラリー国務長官(米)
三人目はアシュトンEU外相(英)

メルケル首相など、ベルリンへ一度もガダフイをあれだけの独裁者であり、サルコジやベレスコーニが彼とベタベタしていても、そ知らぬふりをし、招きませんでした。

したがって、首相官邸の前庭にガダフイお気に入りのテントを張らせて一夜を明かすなどとんでもないと、許しませんでした。

ちなみに、今回のチュニジアやエジプトのジャスミン革命で陰でその推進に手を貸し寄与したのは女性だったことが当地では報道されています。

杜父魚文庫
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