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核武装のために覚悟すべきこととは 古森義久
日本の核武装が話題となってきました。その議論をすることはきわめて健全であり、日本の安全保障をより多様に、より現実的にするたうえで、大きな実利さえあります。

しかし日本が実際に核兵器を開発し、保有し、配備するという作業となると、これはまた別です。「日本も核武装すべきだ!」とは、誰にでもいえる主張です。だが現実にその目標をどう実現させるのか。考えておくことも欠かせません。

その点で防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏の以下の論文はきわめて貴重です。

≪「核不確実性」時代の不安≫

冷戦期の米ソは、今日とは桁違いの核兵器による破壊力を保有して睨(にら)み合っていた。理論上は世界を7回、破壊できるとされた。

が、「唯一被爆体験国」の日本国民は何だかんだいっても、それほど不安と恐怖に戦(おのの)いていたわけではない。なぜか。米ソは1960年代後半には「おおよその核均衡」の下、核軍備管理交渉を始めたからだ。敵対しながらも、米ソは核に関する共通理解を深めていった。だから、米ソが共倒れになる核戦争は回避されるだろうと、世界も日本もほぼ安心できた。

今日、日本人は北朝鮮と中国の核を前に、深刻な不安を抱えている。冷戦期同様に米国の〈核の傘〉の下で暮らしているはずなのに。核戦力で米国と北朝鮮とでは横綱と序二段ほど、米国と中国とでは横綱と十両ほどの差があるというのに。不安は何に由来するのか。

6カ国協議で日米韓中露が北に核力士廃業を薦めても駄目。米中間に核軍備管理交渉が成立する見通しもなし。中国の核ドクトリンは建前と本音が大きく違うようだし。北には核ドクトリンの有無さえ不明。要するにそんな不可知、不可測が不安の源なのだ。加えて米国の〈核の傘〉も先様のご都合で様変わりの気配である。

≪気がかりな精神的核武装論≫

ならば、日本の言論界に少数ながら核武装論者が登場しつつあるのは何の不思議もない。ただ、それらの論には気がかりな点がいくつかある。最大の気がかりは、その核武装必要論が基本的に精神論であることだ。核武装してこそ、喪失した独立・自尊が回復されるというのである。この主張に傾聴すべきものがあるのは事実だが、多面的、多角的検討を欠いて単純すぎる。論者によっては財政的、技術的可能性も検討しているとの強弁もあろう。それでも基調は精神論にあって、財政・技術論は引き立て役でしかない。

5年足らず前、自民党政調会長だった故中川昭一氏が「自分は核武装論者ではない」と明言しつつ日本には核保有論議が必要だと声を上げた。が、非難の合唱でたちまちかき消され、少なくとも政界では核論議は沙汰やみとなった。私は当時、「つくらず、持たず、持ち込ませず」の非核3原則に「議論せず」を加えての「4原則」化はおかしいと本欄で論じ、氏を擁護した。非核「4原則」はしかし、政治の世界を支配した。

冷戦期の日本の政治指導者は中曽根康弘氏を除けば、核問題に無知だった。すべて米国の〈核の傘〉任せで、「非核3原則」と〈核の傘〉が果たして調和するのか否かも考えなかった。極東の核戦略環境が激変した今日でも、無知、無関心、勘違いが続いている。この現状は問題である。

≪無関心、無知の克服が先決≫

極東の深刻な核環境にどう対処するかを決めるのは政治だ。その第一歩は「4原則」中の「議論せず」に決別し、活発な核論議を始めること。政治の無関心、無知の克服が先決で、無知のままいきなり独自核武装に飛びつくことではない。核武装して独立自尊心を満たしたつもりで安全を失ったのでは安保政策の本末転倒なのだ。その愚を避けるため、独立自尊回復と安全確保の両要素の最適配分比率を考えるべきで、核問題の多面的、多角的分析が必要である。

多面的、多角的分析とはどういうことか。(1)核問題で政治の決断能力と国民説得能力(2)決断実行のための財政コストと−核武装の場合には−技術的条件(3)国民の政治決断受容能力(4)決断実行のための対外的調整能力−などの分析と議論が最低、欠かせない。

分析と議論の結果と今後の核情勢の推移次第で核武装の選択もあり得なくはない。ただ、米国の〈核の傘〉継続の場合に比べ、「国民説得」と「国民の受容」にはともに巨大な精力が要求される。それがあるか。他方、〈核の傘〉継続では日本の独立自尊はないと嘆くのはおかしい。両者は二律背反ではない。非核日本が米国の希望なら、執拗(しつよう)に対米注文をつけ、いわばオーダーメードの〈核の傘〉の獲得を図ればよい。

核武装以外に独立自尊心回復の道なしとする精神論、すなわち「唯核論」には独断がある。真摯(しんし)かつ地道な非核通常防衛力の充実とそれに向けての国民教育こそが独立自尊への本道なのだ。内閣府世論調査は、それが国民の3分の2の気持ちだと教えている。政治は指し手順を誤ってはならぬ。

核武装選択の場合、覚悟すべき難作業が二つ。一に核拡散防止条約(NPT)との関係、二に様変わりするはずの日米関係の調整である。同条約は、日本を「つくらず、持たず」で縛っているが、「異常事態が自国の至高の利益を危うくしている」と判断すれば、その理由を述べて脱退は可能だ。とはいえ、主要非核国の条約脱退は空前絶後だろうから、猛烈な国際的波紋が予想されるし、寒々とした国際的孤立が待っているかもしれぬ。米国が「核兵器国・日本」に〈核の傘〉を提供し続ける保証もない。この問題でじゃんけんのやり直しは許されないのだ。(させ まさもり)

杜父魚文庫
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