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スクープ建国記念「の」日 渡部亮次郎
「2月11日 紀元節」が建国記念「の」日として甦るという原稿は私のNHK政治部における特種のひとつであるが、あの頃NYに赴任していた郷土の先輩からは建国記念日ならともかく「の」の意味がさっぱり分からないと悪評だ。

結論を先に言えば、「の」が入ったからこそ当時の最大野党たる日本社会党が抵抗しなかったのである。当時の首相佐藤栄作氏は自民党内右派を抑える為には「の」が入っても「2月11日」が事実上復活すれば満足だった。

また社会党にしても紀元節復活に賛成したという直接的な痕跡を残さずに済んだので、その後「建国記念の日」には全く関心を示さなくなったので、結局この祝日は今日、影が薄い。

昭和41(1966)年の正月明け頃、就任間もない園田直衆議院副議長の部屋を訪ねた。私は盛岡放送局から東京政治部へ転勤して満1年。総理官邸担当から衆議院担当に代わった。正副議長の伊勢神宮参拝に同行、帰京したばかりであった。

言うなれば、これをきっかけに園田氏と親しくなろうと押しかけたのであった。何の収穫も無かったが。前任の田中伊左次氏当時は、議長応接室との出入りをふさいでいた本棚がどけられているのを見逃さなかった。「議長応接室で副議長が極秘の行動を取っている」しかし気づかぬふりをして退出した。

園田氏は既に当選9回なのに未入閣。やっと掴んだ副議長のポスト。何かでかいことをやって初入閣を狙っている。だとすればなんだろう。衆院の懸案として残っているのは「建国記念日法案」がある。

紀元節復活に向けた動きは、1951(昭和26)年頃から見られ、1957(昭和32)年2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。

しかし、当時野党第一党の日本社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱であり、今後学問的検討を待って決定すべきではないか」

「過去において、神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相まって、日本の進路を誤まらせたものではないか」と反対し、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。

その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。

あれから既に10年近く野ざらしだ。これまた就任後間もない首相佐藤栄作氏は成立に意欲満々だ、という。

副議長室周辺をぶらついていると、議長室に入った社会党の国対委員長石橋正嗣氏が出るときは副議長室から出てきたではないか。

記者クラブ(衆院記者会)の他社の連中は全く気づいていない。だが園田副議長を中心にした自民、社会両党幹部による極秘の折衝は議長応接室で続けられた。

結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966(昭和41)年6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。

杜父魚文庫
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