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大相撲と父とじいやん 花岡信昭
野球賭博に続いて八百長ときた。春場所は中止だという。たかが大相撲、されど大相撲だ。日本の国技といわれるのは、神事にのっとったスポーツであるからだ。

日本人ならば、意識するにせよしないにせよ、神に奉納するという意味合いを理解できる。それが日本人のアイデンティティーにつながる。

はじめて相撲を見る外国人は驚愕するに違いない。大きな男たちが、髷を結い、「マワシ」ひとつで尻を丸出しにしてぶつかり合う。こんなスポーツは先進国にはない。

それが日本人なら違和感を与えられることはない。子どものころから、相撲とはそういうものだと刷り込まれてきたからだ。

テレビが家に来たのはいつごろだったろうかと考えている。とにかくラジオの時代だった。笛吹童子、紅孔雀、七つの誓いといった連続ドラマに聞き入った。映画になって、中村(萬屋)錦之介、東千代之介などがデビューした。

家に風呂がないのが当たり前の時代だ。銭湯の二階の部屋にテレビが置かれ、風呂に入る前と出た後、大人たちにまじって観るのが楽しみだった。

ハイウエーパトロール、ララミー牧場、ベン・ケーシーなどを覚えている。

そんなころ、父親が自転車の荷台に乗せてテレビを買ってきた。地方大学の教員で安月給だったのを子ども心にもうすうす知っていたから、これは驚いた。借家住まいで、大家さんの家にもテレビはなく、大晦日の紅白歌合戦に大家さん一家がやってきたことを覚えている。

NECという初めて聞くメーカーの製品だった。4本足と布カバーがついていた。父親は二階の屋根に上がって自分でアンテナを立てた。もちろん、白黒である。角が丸く、湾曲した画面。しばらくして、透明のアクリル板のようなものを買ってきて、この方がよく見えるからと画面の上から取り付けた。

テレビがわが家にはいってから、田舎の祖父(父親の父)がよくやってくるようになった。半月ぐらい滞在して帰っていく。孫としては「じいやん」がずっといるのは楽しいことで、学校から帰るとまとわりついた。

あのころ、なぜ定期的に祖父がやってくるのか、疑問にすら思わなかったが、はっと気付いたのはずいぶん後になってからだ。

祖父が来ると、母親は最初のうち歓待するが、そのうち機嫌が悪くなる。子どもから見ても、なんとなく分かった。寡黙な祖父で手間いらずではあったが、小さな家だから、半月もいられたら気遣いで大変だったのだろう。

祖父は毎日、大相撲を最初から終わりまで観ていた。キセルで好きなたばこを吸いながら、じっとテレビの前に座っていた祖父の姿を思い出す。そうなのだ。父はそのために無理をしてテレビを買ったのだ。

農家の長男に生まれながら、勉強をしたいと家督を弟に譲って飛び出し、代用教員などをして師範学校(いまの大学)の教員になった父だった。赤紙が来たが、富山の連隊まで行って、健康診断で肋膜が見つかり帰された。日の丸で送り出してくれた村の人たちに会わせる顔がないと、しばらく友人の家に隠れていたという話を後に聞いた。

そういう事情もあって、父としては、これが最高の親孝行と思ったのではないか。国技館に連れていくことはできないが、せめてテレビ観戦の場を提供しようとしたのだ。

不始末続きの大相撲の現状を見るにつけ、そうした昔を思い出す。テレビの前で背中を丸め、キセルをふかしながら、ときにゆらゆら揺れていた禿頭。そのシーンがいまだに残っている。

杜父魚文庫
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