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「沢内年代記」を読み解く(三十二)  高橋繁
元治元年 甲子(キノエネ・・・1864年の記録)
【巣郷本の記録】文久四年に改元があって元治元年となった。

【「岩手県史―第12巻(年表)」より】              
三月盛岡藩主南部利剛領内東海岸を巡視砲台を築く。七月武田耕雲斎の騒乱起こり盛岡藩兵江戸に上る、後九月藩主利剛も出府する。七月八戸藩主南部信順京都警衛を命ぜられる。十二月二十八日八戸町大火三百五十六軒寺院三ケ寺他を焼く。この年、稗貫志和地方打直検地新田検地あり。

☆この年気仙郡大船渡村赤崎村柴海苔を作り始める。
◎三月武田耕雲斎筑波山に挙兵する。
◎六月池田屋騒動起る。
◎七月蛤御門の変起る。
◎八月仏・英・米・蘭四カ国下関を砲撃する。この月幕府征長出陣を命ずる。この月萩藩連合艦隊と講話する。
◎萩藩主藩内に恭順を命ずる。
◎この月幕府四カ国と横浜居留地覚書に調印する。

慶応元年 乙丑(キノトウシ・・・1865年の記録)
【巣郷本の記録】この年田畑の作柄は中作であった。

【「岩手県史―第12巻(年表)」より】
二月盛岡大火千二百余戸を焼失する。四月幕府長州征伐の軍を起さんとして諸侯を召す。盛岡藩主南部利剛五月江戸に上り留守居役を命ぜられる。然し安政大地震時の旧創癒えず暇を乞い九月帰国する。八戸昨冬大火の為藩主在所暇を賜う。

この年十月より十二月までの京都守護勤番盛岡藩主南部利剛病中のため家老南部監物兵を率いて上洛する。大島高任藩命により小坂銀山を開発する。八戸領内久慈に鉄山を開しめる。南部藩三本木町新田土地検地の役人を派遣する。八戸藩三戸に文武場を建つ。

☆七月十三日大槻習斎没する(五十五歳)。
☆八月八日水沢留守邦命卒し(四十歳)弟邦寧家督する。
◎四月幕府諸藩に長州再征を発令する。
◎六月長州藩対幕府抗戦を士民に命ずる。
◎九月英・米・仏・蘭四国公使軍艦を率いて兵庫に来港。翌日書を幕府に寄せ、兵庫先期開港と条約勅許を要求する。
◎十月朝廷条約を勅許し、兵庫開港は不許可とする。
◎十一月幕府彦根藩以下三十一藩以下に出兵を命じ、徳川茂承を征長先鋒総督に任命する。
 
慶応二年 丙寅(ヒノエトラ・・・1866年の記録)
【巣郷本の記録】作柄は下作であった。喰うのがやっとで種を取りかねた者があった。作物の出来高の実地検査(御検見)があった。例年二割五歩は確実に収穫できたのに一割七歩ぐらいしか収穫出来なかった。この年八月頃より、光銭の売買があった。光一文は一文五分から一文八分ほどであった。つまり「光銭」は普通の一文硬貨の二倍近くの値で通用したことになる。

(「光銭」はどのような銭かは明確でない。識者は「おそらく金か銀を微量に含ませた一文銭であると思われる。金も銀も微量であってもそのまま貨幣としては通用しなかったので、銭鋳造の際微量に含ませて流通させたものと考えられる。」という。「光銭」という銭貨の記述は「沢内年代記」にしかないのではないか。とも言われている。

この時代、幕藩体制の経済は混乱を極め、インフレ経済あったと考えられる。どれだけの価値か現在の貨幣に換算するには無理があるともいう。) 

【「岩手県史―第12巻(年表)より】
四月八戸藩主南部信順江戸上野山内の警衛を命じられる。六月三本木新田新穴堰着工する。陸路三千五百七十七間(約、6.5辧鳳畛誉藐淺艦蚕熟惨屐別鵝■検ィ貝辧暴銃鷏鄒慌藩鬼柳通り重税反対一揆起こる。この年明義堂の規模を拡大し名称を作人館と改め学科を修文所(文学)昭武所(武術)医学所(医学)の三部に分ける。盛岡藩大迫通り外川目に銭座を設け藩直営とするも失敗、後盛岡商人外川某経営する。

◎六月幕府戦争(第二次長州戦争)始まる。
◎この月薩摩藩征長州出兵を拒否する。
◎七月徳川家茂(二十一歳)没する。
◎八月朝廷将軍の喪をもって征長の兵を停止する。
◎十二月孝明天皇(三十六歳)没する。
◎この年幕府ベルギー・イタリア・デンマークと仮条約締結する。

慶応三年 丁卯(ヒノトウ・・・1867年の記録)
【巣郷本の記録】(去年八月より始まった「光銭」の売買価格は)四月頃より段々上がり七、八月には「光銭」一文の値段は六文になった。金の両替は一両が七貫五百文になった。(従来は金一両四千文・一文を25円として換算すると10万円であったものが、七千五百文・187、500円となったことになる。)この年の作柄は中作であった。

【「岩手県史―第12巻(年表)」より】
正月横浜語学所開発に関する布令八戸藩に来る。三月南部藩領内下田村及びその他を開墾せんとして新渡戸伝他数人を従事せしめる。十一月盛岡藩主南部利剛上洛を命じられるも病中のため三戸式部を差向ける。この年岩手郡雫石代官所内三千石を作人館の学田とする。稗貫、和賀地方新田検地あり。八戸藩主南部信順朝廷より召されるも病中のため家老を上京せしめる。家老禁中にて朝政一新外交等に関する令を受ける。

◎四月幕府外国総奉行を設置する。
◎十月慶喜大政奉遷を請う、翌日朝廷これを許可する。
◎十二月兵庫開港大阪開市を勅許する。
◎この月王政復古の号令を発し摂政・関白・将軍らの官を廃し総裁・議定・参与の三職を設置する。                  

慶応四年 戊辰(ツチノエタツ・・・1868年の記録)
【巣郷本の記録】

☆戊辰戦争下の沢内通り
辰年となり正月より御用金を度々仰せつけられた。是より段々両替が値上がりし、一両が九貫六百文になった。更に値上がりし一両が十一貫文となった。四月になって、お殿様は会津征伐を仰せつけられた。これより御用金は百両から五十両まで仰せつけられ、一分まで仰せつけられた。(一分は一分金、又は一分銀をいい、一両の四分の一の単位まで御用金を出すよう命令された。)村人は迷惑困窮した。

情勢が変わり、南部、仙台、庄内、会津の四カ国の殿様は一同に会して秋田を征伐することになった。七月二十日よりお役人様方が沢内と秋田の境という境に出動した。越中畑の境口から巣郷の境口まで千五百人ばかりが出動し、百姓たちは田畑の仕事を投げ捨て毎日人足にかり出された。この辺の境に戦闘があるように思われた。そのため野々宿や小又では一年ほど小屋をつくり年寄りや子供を隠すようにした。

八月十五日には庄内勢、仙台勢が秋田領に討ち込み横手城が落城した。南部勢は鹿角(現秋田県鹿角市)、橋場(現岩手県雫石町)より秋田領に討ち込み、秋田様も最早城下まで押し寄せられ、落城寸前となった。

しかし、官軍が来る前に上方勢(薩摩、長州勢)が来て討ち返され後退した。この地の御境も固めたが、秋田勢はこの境に茨の逆茂木(さかもぎ・茨で作った防御柵)を築き、鉄砲を打ち鳴らし、戦いは五分五分となった。(この後、幕府派の庄内・伊達・南部藩は降伏)

十月十日秋田勢は南部城下に入った。この間の御宿人足の事は限りなく続き、難儀した。この年雪が降らず、寒中にも牛馬での通用が出来た。田畑の作物は中作であった。慶応四年戊辰、改元があって明治元年となった。

【「岩手県史―第12巻(年表)」より】
☆一月二十四日南部藩佐竹上杉とともに会津討伐応援を命じられる。
○一月中、三本木新田開拓入用金(一カ年二千両、四カ年借用のも
の)南部藩の銅山経営出費のため貸与中止となる。
○二十八日京都伏見の戦、八戸藩派兵を請われ軍役人員を編成する。
○二十九日会津征討の命令、盛岡より八戸に報じられる。
☆二月二十八日秋田藩佐竹家より使者八戸に来る。
☆三月会津追討応援を命じられたる南部藩、献金にて誠実を表わさんと役吏を八戸藩に派遣、八戸藩動揺する。

○八日八戸藩家士太田広城を使用として秋田佐竹家に遣わす。
○十八日八戸藩士漆澤冨右衛門仙台へ使者として出発する。
○二十三日奥羽鎮撫総督九条道孝一行仙台に入り伊達藩より各藩に通達あり。
☆四月二十二日盛岡軍庄内討伐応援として米澤へ進軍途中総督参謀の指令変更あり桑折を経て本宮に至る。その後再度変更あり再び庄内に向かう。
○二十五日八戸藩庄内征討を命ぜられ領境に出兵する。
☆閏四月十一日奥羽諸藩白石に会し(盛岡藩野々村真澄、江幡五郎)会津藩降伏謝罪歎願書を認め添願書を添え鎮撫総督に上陳する。

○十五日降伏謝罪歎願書却下される。
○十九日白石に会議再び開かれる。
○二十日会津軍白河城を攻め落とす。
○二十一日奥羽諸藩総督指揮下の軍を解き九条総督を岩沼本陣より仙台城下に移す。
○二十三日盛岡軍解兵届を総督府に提出、兵を引き上げる。諸藩もこの挙にでる。
○二十九日鎮守総督応援参謀前山長定、松島東名浜に上陸する。
☆五月三日白石に奥羽北越公儀府を開設される。

○五日八戸藩鎮撫総督よりの来書により出兵を引揚ぐ。
○十八日九条総督一行仙台を発し陸路盛岡に向かう。
☆六月三日九条総督一行盛岡に入り駐兵する。盛岡藩八千両、八戸藩二千両、合計一万両の軍資金を供出する。

○二十三日奥羽鎮撫総督府の軍艦孟春丸八戸鮫浦に来港、暴風雨にに遭い白銀海岸にて座礁する。乗組の鍋島勢はこの後津軽へ赴かんとして三本木を通過する。
○二十四日九条総督一行盛岡を発し秋田に転ずる。
☆七月四日秋田佐竹藩奥羽同盟に叛く。盛岡藩戦争に備へ農兵を組織する。

○十五日弘前藩背盟する。
○十六日盛岡藩上席家老、楢山佐渡帰郷藩論同盟加担に決する。
○二十六日箱館より応援のため帰郷の南部藩兵、野辺地にて武器弾薬陸揚中火薬爆発し死傷者を出す。
○二十七日盛岡軍秋田に進軍する。鹿角口(現・秋田鹿角市)よりは楢山佐渡、雫石口には野々村真澄総将となる。
☆八月六日一関藩田村氏の軍出羽に進撃する。

○七日盛岡藩会津討伐の際の論功行賞を行う。
○八日盛岡藩の請求により八戸藩更に野辺地に出発する。
○十三日津軽藩の態度詰問のため、新渡戸伝、長谷川又左エ門を派す。
☆九月十日鍋島勢軍艦陽春丸に乗りて来たり野辺地町を砲撃する。南部藩砲台応戦しこれを撃退、鍋島退き脇之沢に上陸、脇之沢の砲台を襲う。
              
○十五日仙台藩降る。
○二十一日盛岡藩京都内命と称し派兵全軍に戦闘中止を指令する。
○二十二日野辺地馬門村津軽兵により襲撃を受け焼かれる。南部、八戸の藩兵これを迎え撃ち撃退する。
○二十五日南部藩降伏する。
○二十七日野辺地の八戸勢同地を引揚八戸に凱旋する。
○二十八日秋田軍盛岡藩問罪の師と称し長崎振遠隊を先鋒に国見峠を越え雫石に至る。盛岡藩急使を派し降伏手続中なるを告げ盛岡城開城武装解除を約する。
☆十月三日参謀出張所より八戸藩に書面来たり、小湊にて野辺地馬門の戦につき糾問される。

○七日小湊滞留の官軍南部領へ進発、その手配を南部藩士新渡戸伝、上山守古等に嘱する。
○九日南部利剛名代嫡子彦太郎、同美作守信民、三戸式部ら横手に至り総督府に降伏歎願状を差し出す。
○十日官軍鹿角、雫石、沢内の諸道より盛岡城に入り、武器弾薬を封印する。ついで総督府使者澤主水正盛岡藩士中より城中勤番の士を指令する。
○二十日盛岡駐在の西軍引揚げる。
☆十一月十一日鎮撫総督府監察使藤川能登盛岡城入城、南部利剛、同彦太郎父子の東京護送及び反逆首謀の臣捕縛護送の件を申し渡す。

○十四日盛岡藩士による城中勤番を解き久保田藩により臨時行政(軍政)「南部表鎮撫行政司」を置く。
○十八日奥羽鎮撫総督九条道孝、同副総督澤為量東京に帰る。この日盛岡の豪商鍵屋茂兵衛、尾去澤銅山の経営権を家老連名の証文をもって藩より委譲される。
☆十二月二日利剛南部家の菩提所金地院に入る。

○七日利剛封地を没収せられ謹慎し、信民(麹町候)千石を削られ隠退を命じられる。八戸藩構い無く隣地伊達候は封地没収謹慎、田村候は三千石を削られ隠退。安藤候は移封の上謹慎となる。退任の各家それぞれ継嗣を奉請する。

同日、朝廷直隷地を発表し諸藩主にその地取締を命ずる。当地方(南部領の内)は松代藩真田幸民(鹿角、岩手、紫波全域他宮古、野田など)弘前藩津軽承昭(北、三戸、二戸)と指令される。
○十七日南部家嗣子彦太郎白石十三万石に封ぜられる。
○二十日南部彦太郎箱館攻撃の先鋒たらんことを請うも許されず。
○二十三日戸田光則(松本藩主・稗貫、和賀、閉伊、江刺、気仙)土岐頼知(戸田藩主・胆沢、磐井)地方直隷地取締に追加任ぜられる。

○二十四日磐井郡東山大原地方に農民一揆起こる。村々の肝入宅襲われる。
○二十五日南部家御用商人鍵屋茂兵衛以下十六名連署し、東京田所町の油店小野組井筒屋善次郎より南部家国替停止資金千両の借出しを申し込む。
○二十七日南部藩重臣遠山礼蔵、南部家の国替停止盛岡の城地安堵の執成方を久保田藩主に歎願する。
◎一月三日鳥羽伏見の戦。

○六日慶喜大阪より海路東走する。翌七日慶喜追討令下る。
○十日慶喜以下二十七名の官位を奪い幕領を直轄とする。
○十五日王政復古を各国公使に布告する。
◎二月十五日東征大総熾仁親王進発する。
◎三月二日九条道孝奥羽鎮撫総督に任ぜられ京を発し海路奥州に向かう。

○明治天皇五箇条の御誓文を宣する。
◎四月十一日討幕軍江戸に入る。慶喜水戸に退去し、榎本武揚ら艦船を率いて脱走する。
◎閏四月二十一日太政官を議制以下七官に分ち地方を府県藩に分ける。
○十九日太政官札を発行する。
○同日上野彰義隊敗走する。

◎七月十七日江戸を東京と改称する。
◎九月二十二日会津藩降伏する。
◎十月十三日天皇東京に入る。     
◎十二月七日奥羽出羽を七国に分割する又奥羽越諸藩主を処断する。

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コメント
師走となってしまいました。やっと明治元年に辿り着きました。明治維新の迅速な時代切り替えに改めて感心しています。情報網のない時代と比べると、現在はあまりに弛緩、堕落しているように思えてなりません。

沢内は先週から根雪に成ったかと思ってましたが、今日の風雨で消し飛んだかもしれません。

冴え渡った健筆、ごくろうさまです。よろしくお願いします。(繁)
| 高橋繁 | 2010/12/03 8:38 PM |
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