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秋祭りの最中に尖閣と検察に怒っている国民 西村眞悟
九月十八日の土曜日から岸和田のだんじりが始まって、泉州路は秋祭りの季節に入る。私の住む堺でも、九月十八日、十九日は榎のふとん太鼓の方違神社への宮入りと宮出し、次の二十五日、二十六日は、百舌鳥八幡宮への百舌鳥地区、土師そして土塔地区のふとん太鼓の宮入りと宮出しだ。そして、十月に入り、二日と三日は、鳳地区と菱木地区と久世地区のだんじり祭り。

ふとん太鼓は、二トンほどの太鼓を笛と太鼓を鳴らしながら大勢で担いで掛け声かけて歩き回る。だんじりは、四トンほどの木製の車を大勢で引き回す。ともに、一人の団扇の合図で、大勢が集団行動をとって動く。
 
秋祭りは、青少年の集団訓練としては絶好の機会だ。教育効果は、学校の先生が逆立ちしてもふとん太鼓やだんじりには及ばない。もちろん、青少年への日教組教育の弊害を消去してくれるのが我が国の秋祭りだ。伝統とは有り難いことである。

また、秋祭りに向けての準備と青年と少年への訓練は、旧幕時代の教育制度である薩摩の郷中教育に類似するもので、地域の年長者が年少者を訓練する方策である。わが国には、徴兵制度はないが、地域の秋祭りの青少年への訓練は、徴兵制度の効果を発揮する。
 
さらに、ふとんもだんじりも、指揮者の手ぶりと団扇を振る合図で全員が動くが、これを見るとき、いつも伝統とはバカにならないなー、と思ってしまう。

司馬遼太郎さんによると、中国大陸の沿岸に攻め入った倭寇の部隊も、だんじりを引く人数と同じくらいの中隊や小隊単位で動きまわる。そして、指揮官の扇の合図で一斉にすばやく動いたという。支那人には、倭寇がこの団扇の合図で素早く動くのが印象に残ったらしい。

このこと、司馬さんの本で読んだが、秋祭りのふとん太鼓やだんじりの動きぶりを見るとき、いつも倭寇の団扇の合図を思いだす。
 
榎のふとん太鼓が出発するときに、例年若い人たちに挨拶をさせていただくが、簡単にこれだけ言う。それは「ふとん太鼓は日本の歴史と伝統そのものだ。したがって、皆は日本を背負っているんだ。ケンカしてもいいが、二日間、事故のないように、頑張ってくれ」ということ。

また、百舌鳥八幡のふとん太鼓は、いつも本殿に上がって拝見するが、面白いことを発見した。それは土師町の太鼓は、年齢別に三組の担ぎ手が交代して担いで来るのだが、頭の色を見ればどのグループが担いでいるかが分かるということ。

まず、茶色の頭が見えれば最年少の青年グループ。黒の頭は、壮年グループ。はげと白の頭は、初老グループだ。

このように、全世代が参加して担ぎ、また引くのがふとん太鼓とだんじりだ。そして、このふとん太鼓とだんじりの製作費は、それぞれ一億円を優に超える。ふとん太鼓は重くて五十人で担いでも数分でへとへとになり、だんじりは大勢で引いて初めて動き、曲がるときにバランスを失えば、倒れて時には人が挟まれて死者がでる。

しかし、トヨタや日産が、いかに安くていい自動車を製造しようが、ふとん太鼓とだんじりに勝る乗り物はない。

昨日の三日は、大雨の中を少年から壮年までの男女が、だんじりを引いて堺南部各地を動き回っていた。一つのだんじりを二百名が引くとして、堺南部では、五千名くらいの人々が雨にぬれて練り歩いていたのではないか。雨の中で見物している人々はそれ以上の数だった。

来週九日からは、堺南部の陶器地区のだんじりが始まる。そして、今田圃には、稔りて頭を垂れる稲穂の絨毯が続いている。

私は、例年、この秋祭りの激励とあいさつに歩く。朝、八時くらいからビールと酒を飲む日もある(が多い)。祭りには酒がつきものだ。

この日程の中で、沖縄そして大阪・東京を往復し、原稿も書いてきた。そして、気がつけば、今日は十月四日で、この時事通信に空白ができていた。

そこで、秋祭りの中で国民は怒っているということをご報告しておきたい。はっぴと地下足袋の伝統的な衣装を着て開放的、オープンマインド、になった人々は、等しく、

「なんじゃー、あの、菅は、あかんなー」、
「なんじゃー、あの、検察はー!」と私に挨拶代わりに言う。本当に腹が立つ、情けない、という風情なのだ。テントの中で、前をだんじりが通っているときに、まずビールを勧めてくれて「尖閣はどうなってるんや」という。

昨日など、鳳の長承寺の祭りの本部に座っている人々は、私を待ち構えていて、「尖閣はどうなっとるんや、話を聞きたいから待ってたんや」と言って、尖閣における中国と日本政府の対応を尋ねてきてくれた。

この通り、国民は覚醒している。伝統のだんじりを引く大勢の掛け声と太鼓の音を聞きながら、秋祭りの中で、国民の覚醒と日本再興の始まりを感じた。

なお、例の大阪地検特捜部の逮捕された検事(以下、容疑者という)は、平成十七年暮れの私の事件を捜査主任としてつくりあげた者である。

本日もこの検事に関して取材を受けたし、既に数社が私に聴いてきている。そこで、私も憤りとともに振りかえっている。そして、今になって、「ああ、やはり、あいつが仕組んで事件にしたのか」と腑に落ちることがある。それを簡単に列記しておく。

1、村木さんの事件では容疑者は、「証拠の日付を偽造」した。同様に、私の事件でも、検察は問題の事務員を私の前に連れてきた秘書の「虚偽の供述調書の作成」を出発点にして強制捜査に乗り出してきた。この「供述調書」は、署名すれば早く家に帰してあげれるし、もう来なくていいよ、という誘導によって取られた。

裁判所は、この「供述証拠」が真実ではないと認めて私は無罪となったが、もし検察(容疑者)が作った嘘の供述証拠が通れば、容疑者の功名心は満たされていただろう。

2、取り調べのある日、担当検事が、私に議員辞職の「上申書」を書いてくれと頼んできた。私が、だれ宛に書くのか、と尋ねると、自分の上司宛だという。検察官かと聞くとその通りだという。

私が、「なぜ国会議員の私が、君の上司の検察官に議員辞職の上申書を書かねばならないのか。君は、法律家として三権分立を踏みにじるのか。私が議員辞職届を出す相手は、衆議院議長だけだ。」というと、彼は恥じた風情で、以後、上申書の話はしなくなった。

思えば、この上申書を私に要求してきたのは、この容疑者ではないか。この手法に、何が何でも国会議員の首を取りたいという容疑者の功名心が現れている。

3、ある日、担当検事に、「上申書を要求してきた君の上司の素性を聴くが、信じている宗教は何か、出身大学は何処か」と尋ねた。 担当検事は、驚いた様子で、知りませんと答えた。そこで、私は、「人のことを調べ上げるだけではなく、君に命令する上司のことも少しは知っておいた方がいいのではないか」、と言った。

4、担当検事は、特捜部が歩いた後には、ペンペン草も生えないんですよと得意げに言った。私は、人の生存基盤を破壊して何としてでも人を罪に落すという検察の隠微な執念と横暴な圧力を感じた。容疑者の逮捕によって、その執念は、無実の者でも罪に陥れるという、検事ではなく人間の屑のものだったことを知った。

5、ある日担当検事は、私の主張する一文を調書に記載してくれた。私は、それが真実だから調書に書くのは当然だと思っていた。しかし、翌日会った担当検事は、上司にこっぴどくしかられたと言ってしょげていた。
真実を読んで担当をしかった検事とは、自分に都合のいい虚偽を強制する者であり、日付を偽造したあの容疑者ではなかったのか。

6、ある時点から、担当検事は、私は西村さんと上司の板挟みです。私はピエロですと言い始めた。妙なことを言うやつだと思っていたが、上司が容疑者なら板挟みで本当にピエロだったのだろう。

7、担当検事が後日、検察庁内で自殺未遂をしたと報道で知ったとき、やはりあいつは悩んでいたのかと痛ましく思えた。

8、私が平成十七年の暮れに、逮捕という強制捜査を受けるとき、資料を集めて、検察と違う考えを持っていた大阪府警の刑事は、私に、西村さんの事件は、東京とここが仕組んでいます、と符号で図示してから、頑張ってくださいよ、と言った。

大阪府警は、容疑者の歪な功名心を知っていたのではないか。私は、今でも、資料をもとに検察の方向とは異なる判断していた大阪府警は、分かってくれていたと思っている。

9、しかしながら、平成十七年末から、これでもかこれでもかと繰り返されたマスコミ報道は、私自身が、これは私のことではない、だれかとの人違いではないかと思うほど真実とはほど遠かった。しかし、その嘘によって、私は、全くマスコミの世界では悪者になっていた。したがって、強制捜査に乗り出した検察は、「正義の味方」とされた。

そこで私は、担当検事に聴いた。「こんなことが報道されていた。あなたは、今となればそれは虚偽だと分かるだろう。一体、検察の誰が、このような嘘をマスコミに流したのか。」

担当検事は、報道内容に驚いた様子で、いえ私は知りません、と答えた。今となれば、あの容疑者と東京が、私に関する嘘をマスコミに流していたとしか考えられない。

今、振り返り思いつくのは以上のことである。なお、今明らかになっていることは、本年の二月には、検察首脳は、村木さん事件における容疑者の日付偽造を知っていたということである。

しかし、検察は、九月に村木さんに無罪判決が出た時に何と言っていたのか。「無罪が出て残念だ、控訴するかどうかを検討する」ということではなかったか。

既に判決までに検察が日付偽造を知っていたのなら、残念もくそもなく、控訴するかどうかを検討するもへっちゃくれもないではないか。そして、驚くべきことに、検察の控訴断念は容疑者の逮捕と同じころである。

本来の正しい検察、秋霜烈日の検察なら、無罪判決当日に、「本来の日付から見ても、村木さん無罪は当然である。控訴ができる事件ではない。村木さんに迷惑をかけて申し訳ない。」これが、社会正義実現を使命とする検察が出すべき声明ではなかったのか。

この検察一体としての驚くべき不誠実な対応を見るとき、逮捕すべきは最高検の中にもいて不思議ではない。検察一体の原則により、村木局長の逮捕と起訴は最高検との協議とゴーサインを経て実施されているからである。つまり、最高検が大阪地検の検事を取り調べることはできない。よって、この度の検察不祥事の取り調べは、検察自身では不可であり、大阪府警に委ねるべきであると再度申しておきたい。

杜父魚文庫
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