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政治決着ではなかったのか 花岡信昭
さすが中国だ。漁船船長を釈放したら、今度は謝罪と賠償を求めてきた。こっちが引けば一歩も二歩も出てくる。たいした国である。押しまくられっぱなしの日本政府があわれに見えてくる。

そもそも、政治決着ではなかったことが、これではっきりしてしまった。政治的にはこれ以上の稚拙な対応はない。菅政権としては面目丸つぶれだ。

領海侵犯して海保巡視船に体当たりし、公務執行妨害で逮捕されたのが、拘留期限の切れる前に処分保留、釈放となったのだから、これは高度の政治レベルの交渉の結果だと見るのが普通だ。

だが、そうではなかった。中国側には事情もあるようで、強硬な姿勢に出ないと、軍部が騒ぎ出したり、国民の不満のはけ口としての役割を果たせないということらしい。

なんのことはない。本当は中国国民は自国共産党政府に怒りの矛先を向けたいのだが、これができないため、「反日」が身代わりにつかわれている。

こちらとしては、そんな事情をいちいち斟酌してやる必要はない。逮捕したのだから、とことん強硬姿勢を貫いて、本当の意味での政治決着のタイミングをはかればよかった。

中国にはめっぽう「顔のきく」小沢氏もいるではないか。代表選敗北のあとの出番になったかもしれない。

*FD書き換え事件は検察史上に残る一大汚点

大阪地検特捜部検事によるフロッピーディスク(FD)書き換え事件は、日本の検察史上に残る一大汚点となるに違いない。検察トップの検事総長の辞任は必至だろう。

さらに、政治とのかかわりが重要な焦点として浮上した。

証拠隠滅容疑で逮捕された検事が、小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件で起訴された元公設第1秘書の取り調べを担当していたためだ。

この事件では元秘書3人が起訴されているが、公判段階ではいずれも無罪を主張する方針のようだ。検察の捜査段階での供述調書を一転して否認することになる。

事件はまったく別だが、FDの書き換えをやってしまうような検事が作成した調書にどれだけの信用性があるかと主張していけば、そういってはなんだが、世間的には分かりやすい。

小沢氏に対する検察審査会の2回目の判断も10月に出される予定で、この行方に影響を与えるかもしれない。 民主党代表選で小沢氏が「大敗」した要因として、強制起訴され刑事被告人になる可能性のある政治家に首相が務まるかということが喧伝された。検察審査会の議決によっては、そうした構図が一転しかねない。

FD書き換えの意図がもうひとつはっきりしていないことなど、この事件には不可解な部分も残されているが、ともあれ、検察の威信は地に落ちた。最高検が全容解明に乗り出したのも当然だ。

*独立性、信頼性をどこまでも維持していく必要

日本の検察は首相経験者を逮捕、起訴した「実績」を持つ。 立法、司法、行政の三権分立の仕組みからいえば、検察は司法に属するような印象を受けるが、法務省に属する行政機関である。

だから、法務大臣の指揮下に入るわけだが、ときの政治権力に左右されないようにするためには、その独立性、信頼性をどこまでも維持していかなくてはならない。

私的経験で恐縮だが、ロッキード事件の後、ダグラス・グラマン事件というのが起きて、政治部記者だった筆者は法務省を急に、担当させられたことがある。法務省記者クラブは政治部、検察・裁判の記者クラブは社会部が受け持つ。

筆者の勤務していた新聞社は政治部の要員が少なかったため、常時、法務省担当を置けるだけの態勢にはなかった。

法相が古井喜実氏、刑事局長が「巨悪は剔抉(てっけつ)する」という国会答弁で有名な伊藤栄樹氏(後に検事総長)だった。いずれもすでに故人となった。

伊藤氏はロッキード事件など幾多の事件を担当、相手に畏怖(いふ)を与える強面で知られる。 筆者などは、最初に刑事局長室で名刺を出したとき、「そこに置いといてくれ」と言われ、机の上に置いて早々に退散したほどだ。

*偽情報を流してネタ元を割り出したことも

以前にこのコラムでも書いたのだが、それはオモテの顔で、実は新聞記者を好み、特定の記者だけ集めて極秘懇談を行った。

筆者も何が評価されたのか分からないが、このメンバーに加えてくれた。

伊藤氏はウイスキーの水割りをビールのように飲み干す酒豪で、下戸の筆者は伊藤氏の水割りを作る担当だった。

この集まりはその後も続き、新築された検事総長公舎で行ったこともあった。通常は記者の出入りは禁止されているのである。

伊藤氏は後に著書で明らかにしているが、1957年の売春汚職事件(伊藤氏は捜査陣の一員だった)で検察内部から情報が漏れたため、偽情報を流し、特定の政治家2氏召喚へという記事を書かせて、ネタ元を割り出したことがある。書いた記者は逮捕された。検察というのはときにそこまでやるのである。

そのことを知っているから、この極秘懇談の中身は完全オフレコだった。もう時効かと思うが、その席で伊藤氏が何度かわれわれに依頼したことがある。

事件を摘発して起訴するとき、担当検事の名前を書いてくれないか、というのである。 「○○地検は……」だけではなく「○○地検の○○検事は……」という記事にしてほしいというのだ。

*罪人をつくり出すことに目的があるのではない

検事の励みになるという趣旨だったが、検事というのは隠れた存在ではないのかと思っていたわれわれには、意外な要請であった。これは検察記事の書き方としてはいかにもなじまず、伊藤氏の思いはいまも実現していない。

伊藤氏が「担当検事の名前を」と提起したのは、検事(検察官)というのはそれぞれが独立した存在(法的には独任というようだ)であるということが背景にある。

検察庁は独立した検事によって構成される捜査機関であるといっていい。それだけに、今回のFD書き換え事件を起こした検事の「罪」は重いということになる。

伊藤氏は「検察は遠山の金さんでなくてはいけない」と常に力説した。江戸時代の名奉行、遠山金四郎(景元)である。ドラマでは最終場面になって桜吹雪の入れ墨が出てきて、悪人が恐れ入るのだが、遠山の金さんは庶民の絶対的な信頼を得ていた。そこが伊藤氏の説のポイントだ。

それに、金さんは悪を滅ぼすが、庶民がやむにやまれずにやってしまった小さな罪は見逃すことがある。だれもかれもお縄にするというわけではない。世の中のおかしなことは是正する。罪人をつくり出すことに目的があるのではない。

そこが検察の使命であるということを伊藤氏は言いたかったのだろうと思う。

*3回にわたって検察の「取り調べ」を受けた

ある役所で事務次官に汚職の疑いが浮上した。よくよく調べてみると、業者から冷蔵庫をもらったという。悪いことには違いないが、次官の事件としてはあまりに「みみっちい」。

そこで、異動時期ではなかったのを早期に退官させ、天下り先も斡旋しないことで決着させた。これで、一定の社会的制裁にはなるという判断である。検察にはそこまでの権限が事実上、託されているということになる。

これまた私的経験を明らかにすると、筆者は検察の「取り調べ」を体験している。それがどういうものであるかの一端を知ることになるかと思われるので、あえて書く。

共産党系の「市民」から告発を受けた。検察は告発状を受理すると、起訴、不起訴、起訴猶予のいずれかの判断をくださなくてはならない。そのため、3回にわたって検事の「調べ」を受けた。

途中で電話があって、脇に座っている事務官が「ただいま調べ中です」と返事している。思わず、「これ、事情聴取じゃないんですか」と聞いたら、検事の答えは「われわれの世界では『調べ』といいます」。

最初に検察庁へ来てくれという連絡を受けた時は、さすがにこちらも緊張した。「入口のあたりで新聞記者らしき人と出会ったら、そのまま素通りして、見えないところから電話してください」などとこまかに指示される。

*取り調べの実態を知るうえでは得がたい経験

この検事がなかなか豪放な人で、のっけから「共産党と話をつけてくれませんかねえ。こんな事件、やりたくないんです」と言う。

当方も新聞社の政治部長をやったぐらいだから、その「職権」を利用して代々木の共産党本部に出向こうかと一瞬、思ったが、おかしな借りはよくないとただちに思い直した。

結果的には当然ながら不起訴だったが、検事の取り調べというのはこうやるのかという実態を知るうえでは得がたい経験であった。

検事と向かい合わせに座る。検事の後ろが窓だから、まぶしくて伏し目がちになる。そういうことも考慮しての机の配置らしい。テープレコーダーが置いてあり、脇の事務官がメモを取る。

同じことを角度を変えて何度も質問される。こちらの説明が不十分だったりすると「身柄を取ってもいいんですけどね」などとつぶやく。こっちも負けられないから「こんなことで身柄をおさえたら、検察の名折れでしょうが」とやり返す。

強く出たり、柔軟になったり、まさに検事のペースに合わせ、こちらも必死に記憶をよみがえらせながら対応していく。

*検察審査会は書類審査だけで当人との接触がない

調書作成の段階もおもしろかった。検事がそれまでの「調べ」の内容を踏まえて一方的にしゃべる。さすが司法試験を通ってきた秀才だけに論理的で、そのまま文章になる。それを事務官がパソコンに打つ。同じ画面が検事の目の前のパソコンにも表れる。ときどき、「字が間違っているぞ」と言われ、事務官が「すみません」と手直しする。

こちらは画面が見えないから、一所懸命に聞きながら、「そこの表現はこうじゃないですかね」などと注文を出す。「ああ、そうですねえ」と修正してくれる。10年近く前の話だが、そんなことの繰り返しだからやたらに時間がかかって消耗したことを覚えている。

不思議だったのは、不起訴決定の連絡が当人には来なかったことだ。ずいぶんたって、同じマスコミ業界の人間から教えてもらったのである。

ついでにいえば、共産党系「市民」は検察審査会にも持ちこんだのだが、この結果もこちらには一切知らされなかった。

呼び出しがあれば出向いて撃破してやろうと待ち構えていたのだが、検察審査会というのは書類審査だけで当人とは接触がないのである。

杜父魚文庫
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