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魂魄は肉親のもとに戻ってきている 古沢襄
戦争を指導した為政者が祀られているから靖国神社に行かないというのは勝手な理屈であろう。多くの日本人はこの戦争で親族を失っている。慰霊を祀る靖国神社に行くのは自然な行為ではないか。他国からとやかく言われる筋合いのものではない。

とはいえ私は五年に一度ぐらいしか靖国神社に行かない。父と母の文学碑が東北の菩提寺に建立されて十二年間、毎年五月には菩提寺を訪れ、祈りを捧げてきているからである。二度目のシベリア墓参をした仲間と、五年前に東京の九段会館で懇親会を持った。翌朝、早起きをして一人で靖国神社に出掛けた。

まだ薄暗い拝殿にぬかずくと一人の老婆が手を合わせていた。戦死した息子の遺骨が、戦後、厚生省から送られてきたが、骨壺には小さな位牌があっただけ。それを家代々の墓に納めてあるが、やはり靖国神社に来なくては息子の霊に会えない気がすると言っていた。

それも毎年、朝早く一人で来るのだという。祈りを捧げるのは靖国神社の静寂な空気の中がいいと、はにかみながら言っていた。そういう祈りの捧げ方もある。私も旗を持ってゾロゾロと団体で参拝するのは肌に合わない。静寂さが乱される気がする。

シベリア墓参には二度行った。最初はウランウデの病院墓地に葬られた父の墓をみつけるのが目的であった。ウランウデ市の当局者がロシア語の墓地名簿を片手に探してくれた。まったくの偶然だったのだが、ロシア語の金属板に刻まれた「ФУРУСАВА ТАМАД3ИРО」の墓標を発見することが出来た。

墓参団一行の三十三人の中で墓標を発見出来たのは、私ひとりであったが、皆が集まってわが事のように喜んでくれた。小さなステンレスの墓標だったが、父の魂が宿っている思いがして肌身につけて帰国している。

厚生労働省によるシベリアの遺骨収集が続いている。シベリアに抑留された日本人の死亡者の正確な数は分からない。ソ連・東洋アカデミーのキリチェンコ研究員によれば六万四千人。だがステンレスの墓標がはぎ取られたり、墓地そのものが人造湖の底に沈んでいたり、中には墓地の上に集合住宅が建てられたりしている。

そのことを思うと父の遺骨を掘りおこし、自分だけが遺骨を持ち帰るのは、父も望まないと思うようになった。律儀な父だったから、多くの戦友と一緒にシベリアの地で眠り続けることを望むのでないか。二度目のシベリア墓参で、その思いはますます強くなっている。肉体は滅びても、魂魄は肉親のもとに戻ってきていると信じたい。

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