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故人の霊を家に迎える迎え火の風習 古沢襄
八月は鎮魂の月である。敗戦の八月十五日があるからでない。戦前から”お盆の月”であった。長野県上田にある母の実家は手広くやっていた商家。お盆がくると奉公人は揃ってお休みをとって自分の家に帰る。先祖のお墓参りをしたり、仏壇の前で亡くなった人たちの想い出話をして一日を過ごしたものだ。

<<孟蘭盆(うらぼん)の風習は、いづことても本質的にはさう大した差異はあるまい。朝の墓詣り、昼の寺詣り、夜の盆踊りと、大抵は順序がきまっているものだ。(中略)雪国特有の傾斜がきつい二百十余戸の茅葺屋根が、峡谷のやうに街道狭めて立ちならんでいるが、その戸数と同じだけの迎え火が、夕闇がおりると夜半まで一斉に焚きだされる。>>古沢元の小説「びしゃもんだて夜話」の一節である。

迎え火は故人の霊を家に迎える風習で八月十三日のお盆の野火。八世紀ごろから夏に祖先供養を行うという風習が確立されたといわれている。大都会の東京では廃れてしまったが、戦前は下町の裏道を行くと迎え火を焚く風景がみられた。その下町も敗戦の年に三月十日の大空襲で灰燼と帰してしまった。

信州上田の母の実家では、折った割り箸を四本、きゅうりやナスに差し込んで仏壇に供えていた。きゅうりは馬、ナスは牛。精進揚げの天ぷら、田舎風のお焼きも供えられた。迎え火はお盆にあの世から帰ってくる霊魂が迷わない様に玄関の戸口で焚いたものである。

十六日には野火を焚くが、送り火という。この世に戻った先祖の魂をあの世に送る風習だが、京都の五山送り火が有名。仏教の伝来とともに日本に伝わった迎え火と送り火だと思うが、核家族化の戦後では、家庭のお盆の風習も古来の伝習が消え去ろうとしている。寺社の境内に老若男女が集まって踊る盆踊りも、観光のイベントとして姿を変えた。

良き古き伝統が消えていくのは悲しいが、これも敗戦がもたらした所作だと諦めるしかない。一人暮らしの老人が家族の誰にも看取らずにひっそりと死んでいく世相は、これらのことと無縁ではあるまい。嫌な世の中になったものである。

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