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緒方竹虎さんの「朝日人」 古沢襄
二〇〇三年六月のことだから七年前のことになる。朝日新聞OBの為田英一郎さんと私が二日間にわたって西和賀町で講演旅行をした。英一郎さんの祖母と私の祖母は姉妹。沢内村の初代村長・為田文太郎の”ひ孫”が来たというので七〇人を越える村人が集まった。

前夜は私が政談講演をしたのだが、聴衆の中に英一郎さんの姿を見かけると、気になって慎重に言葉を選ぶ緊張感に包まれた。同業のジャーナリストが聴いていると思うと、いかに”ひ孫”どうしとはいえ、気になるものである。

翌日の英一郎さんの演題は「日本はいま、おんなどき」。なかなか含蓄のある話だった。話を聴きながら、ふっと「朝日人」という言葉を思い出した。四〇年間もジャーナリストの世界にいたのだから、朝日新聞社のジャーナリストとの付き合いも広がったのだが「朝日らしいな」と感じた仲間が多い。

仙台で1年生記者どうしでスタートした石川真澄さんは、同じ政治記者になったのだが、「朝日人」の風格を感じた仲間である。その頃、英一郎さんは東北大学の学生。お父さんは朝日新聞の文化部記者だった筈である。私の父とは従兄弟どうし。伯父に当たる為田大五郎さんに「朝日の一年生記者に凄い奴がいる」と言った記憶が残る。その石川さんもいまは亡い。

「朝日人」とは何であろうか。私はそれを時代の動きに左右されない座標軸がしっかりした中庸の精神が豊かな人と心得ている。私が尊敬する緒方竹虎さんは、戦前は”コムニュストかぶれ”と指弾され、戦後は”東洋的右翼”とさえいわれた。その多くは政敵が流した風評の類なのだが、緒方竹虎さんの座標軸は戦前も戦後も微動だにしていない。世の中が右に左に揺れただけのことである。

福岡支社長時代に朝日の政治部長だった八幡次郎さんの知己を得た。九州朝日放送の会長だったのだが、茫洋とした大人(たいじん)で「朝日人」の名に相応しい人物。この人が私の父・古沢玉次郎と仙台の第二高等学校で同級生だった。父が第二高等学校の前にあったミルクホールに入りびたっていたという昔話を楽しそうに語ってくれた。

「君のオヤジとは文乙(ドイツ語学科)で一緒だったが、文甲(英語学科)の秀才で永山公明君がいた。一緒に朝日新聞社を受験したのだが、どういうわけか公明君が落ちて、ビリから数えた方が早い私が合格したのだよ」と言って呵々大笑する。

永山公明さんは共同通信社を受験してトップで合格、初代の経済部長になった。カミソリの様に切れる頭脳明晰な人物だったが、父と仙台の第二高等学校で同級生だったとは、八幡さんに教えられて初めて知った。永山さんは朝日の学科試験をトップで合格しているが、役員面接で「頭が切れ過ぎる」と評価されて落とされたという。

ジャーナリストは愚鈍ではなれるものではないが、入社試験の学科試験の成績がずば抜けてトップだと採用に迷う。人事担当の役員になって、時折、八幡さんのことを思い出したものである。たしかに塾通いでお勉強に塩漬けとなった記者は、長い間には落伍するものが多い。

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コメント
毎日拝見しています。

>>>翌日の英一郎さんの演題は「日本はいま、おんなどき」。なかなか含蓄のある話だった。

 この「おんなどき」ですが、当時が「おんな時」の時代だという分析だったのでしょうか、それともこれからは「おんな時」という指針を述べたものだったのでしょうか。大変興味をもちました。宜しければお教えくだされば幸いです。(岡山県 宇野)
| MoMotarou | 2010/07/17 5:05 PM |
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