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「これから」の二大潮流が鮮明になった 宮崎正弘
中国からそとへ、中国のもっと内陸部へ。すでに中国の繊維産業は数年も前から、加工賃金の上昇にたえられず自ら中国を出た。ベトナムへ、ラオス、カンボジアから、繊維産業はバングラデシュに集中した。五万社がダッカと、その周辺に集中しバングラデシュの娘をミシン工として雇用。その数、いまや百万人。

それでも足りずスリランカとミャンマーへ。後追いで中国工場の生産を漸減させる方針を打ち出したのはユニクロ。

華南の深刻な人手不足は数年前からの現象で、筆者も何回か報告したが、あまり信用されなかった。「なんで中国で人手不足か?」と聞かれた。

十三億の人口と、地域格差、そのアンバランスの実態を一言で言えば、中国を「ひとつの国家」として見ることは幻影であり、かえって危険であるということである。

簡単に説明しよう。重労働でドミトリー付きで月給千元とする。残業もいれて。そこから食費とドミトリー宿泊の家賃を引かれ、福利厚生費を天引きされると、手取りは600元くらい。その内から400元ほどをふるさとへ仕送りすると手元には200元あるか、ないか。たばこ代程度。

それが内陸への国策として西部開発が呼号され、巨額の投資が始まり、建設ブームが西北部から重慶のような深奥部にまで開発の波が広がると、労働者は旧正月で帰省したあと、沿海部へもどらなくなった。

沿海部へ出稼ぎに行って重労働の果てが千元でも実質600元なら、地元にいて650元稼げれば、ふるさとに居た方が良い。これが三年前からの現象である。

▲産業の宿命的パターンと連動

そこで労働斡旋エージェントが雨後の竹の子のように生まれ、田舎へ飛んで、労働者集めをやる。条件も変え、賃金はあがる。だからメーカーは沿海部より、ちょっと奥へ入った蘇州とか、無錫あたりへ工場を移転し、それでも高くなると南京から山を越えて安徽省へあるいは江西省へ、貴州省へ。

しょせん、労働賃金の安さだけで成立する繊維、雑貨、加工などの所謂「川下産業」は、労賃が安い方向へ流れる。川下産業の宿命である。

華南の工場地帯は部品メーカーが集中している。最初は香港華僑が組み立て加工などを労賃の安さめがけて隣接する深センに工場をつくり、ついでにマンションが安いのでばんばんと買った(香港の不動産価格は東京より高く、当時、深せんのマンションは百平米で、その三十分の一くらいだった)。

つぎに日本のメーカーが台湾メーカーとほぼ同時期に進出し始め広州とその衛星都市、仏山、慶州、東莞、中山、真珠海などへどっと出る。

いずれも労賃の安さをめがけたが、それを聞きつけた付近の村々から、やがて大規模に湖北、湖南からも労働者がやってきた。

その地方からの出稼ぎが地元の雇用増大で帰りはじめ、それでは、とばかりもっと奥から労働者を輸入する。すなわち新彊ウィグル自治区や四川省、陝西省、雲南省からも、集団就職させるのだ(その結果、カルチャーショック、民族対立が生まれ、華南でウィグル人虐待への暴動が発生して、09年7月のウィグル暴動へと繋がる)。

広州はいまやひとりあたりのGDPが一万ドルを突破し、ちょっとした家庭はフィリピンのアマを雇い、運転手付きの車をもち、海外旅行はざら、引退組の夫婦は、朝つれだって一流ホテルにお粥をたべにくる。それも花園とかスワン、東方、中国飯店という五つ星のホテルにも、である。

筆者も毎朝ホテルで目撃しているうえ、老夫婦らとも会話するので実感として、その迅速なる変化を肌で感じた。

或る老婆とは広州のホテルで毎朝あうので顔見知りになると近づいてきて「わたしゃ、三回東京へ行ったよ。浅草、秋葉、それから靖国神社も」「なんで靖国へ?」「だって一番有名だもの。見ておこうと思ってさ」という具合。

▲トヨタ、ホンダの進出が労働戦線を激変させた
 
つぎにやってきたのがホンダ、トヨタの本格進出だった。熟練工の給与体系は、いきなり二倍となり、3kの典型である建設現場では出稼ぎも激減し、ついに華南、とくに広東省では労働者をベトナム、インドネシアから輸入するようになり、それでも足りずアフリカから中東から。

広州市内をあるくと黒人とアラブ人だけの街がある!

上海メガロポリスはハイテクの部品工場が集中した。通信革命、コンピュータ産業の勃興があり、大量の技術者が集中し、大学卒の雇用が生まれ、他方では建設ブームのために3k労働者が払底する。

こうなると次の変化は明瞭である。中国から外国へ目ざすか、あるいは逆に中国の奥地へ工場を移転させ、地方で労働者を確保するしかないではないか。

それさえも産業別で対応は千差万別となる。つまり自動車メーカーなら、部品、鋼板、カーナビ、関連機器の系列、下請け工場は中国にとどまらざるをえないだろう。すると中国の内陸部、もっと奥地へ奥地へと移動がつづく。

中国国内にこれからの市場を見いだす産業、たとえば消費財、高級化粧品、医薬品なども四川省などへ移転が近年めだってきた。

内陸部への移転本格化の波は、これから始まるト予測していたところ、日本経済新聞(2010年7月14日付け)を開いて、なるほどと思った。

同紙に拠ればスミダ・コーポレーションが湖南省の常徳へ。オムロンは湖南省の衝陽へ。日本電産は広東省の北辺の街(占関)へ工場を移転させる。

嗚呼、常徳と衝陽は大戦中、日本軍が長沙を落としたあと蒋介石軍を追って山々を超え、峻険な山稜を行軍したあたり、いずれもフライングタイガーに猛撃され、多くの戦死者を出した場所である。

衝陽は岡村寧次将軍と何応欽将軍が会見し、停戦協定に調印した場所に近い。これもまた何の因縁か?

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