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日本初の戸籍は壬申戸籍 渡部亮次郎
何かの本を読んでいたら、僧籍にある者の買春が露見したら、裸体のまま「江戸払い」の処分と言うのが江戸時代だった。寺は幕府に代わって「戸籍」を預かっていたので、それ相応の保護を幕府から受けていたから、戒律も厳しくされていたのだという。

そんなことを考えながら江東区毛利にある「都立猿江恩賜公園」を散歩していたら、公園の東端を流れている横十間川(運河)こそが「江戸」の境目だったのを知った。

吉原で「私は医者」と偽っての遊女あそびがばれた修業僧は、例えば猿江公園になる前の「木場」の堀の東側から江戸を追放になったわけだ。

<幕府は、明和2(1765)年に江戸の範囲を「江戸城を中心にして4里四方を江戸のうち」と定めた。さらに23年後、「江戸払い」の範囲として、品川・四谷・板橋・千住・深川から内側の区域を江戸とした。

それでも拡大する江戸は収まらなくなったので、町奉行が治安を担当する範囲を朱色の線で囲んで「朱引内」と呼びました。西は山手線内・北は板橋、千住・東は亀戸、小名木まで。

町奉行が行政を担当する範囲を黒線で囲んで「墨引内」と呼びました。高輪・白金・目黒・渋谷・高田・巣鴨・谷中・三ノ輪・本所・深川の内側です。

朱引きは明治以降も存続し、数度の改正を経て最終的には旧墨引に近い形となり、郡区町村編制法施行時に旧東京15区となったのだ。(フリー百科辞典)

明治政府は、発足後の明治4(1871)年に戸籍法を制定、これに基づいて、翌明治5(1872)年に始めて官製の戸籍を編製した。編製年の干支「壬申」から「壬申戸籍」(じんしんこせき)と呼び慣わされた。

江戸時代の宗門人別改帳に代わり、皇族から平民までを戸(家)を単位に集計した。また、江戸幕府の国別人口調査と異なり、全国一律の基準で集計した点でも画期的であった。この戸籍により、当時の日本の総人口は、3311万人と集計された。

明治6(1873)年から大正8(1919)年までの人口統計は、壬申戸籍に対する増減をもとに算出したものである。しかし転出、転入の届けなしの移動が相当数に及ぶため、地域別人口のずれが年々拡大した。また、壬申戸籍自体が、役所の戸籍簿の集計であり、直接の人口調査によるものではなかったため、無視できないほどの脱漏があった。

後の統計は集計値の他に推計値を載せるようになり、大正9(1920)年の国勢調査まで、この誤差問題は次第に大きくなっていった。明治5(1872)年の総人口も3480万人に修正した推計がなされているが、この推計値についてもなお議論がある。

そもそも、明治4(1871)年の戸籍法は不備が多く、多くの機能(印鑑証明、地券等)を持たせたことにより、複雑となった。

また必要限度の要件さえ整っていれば記載様式も特に設けられなかったことから、地方によって書式の詳細に格差が生まれた。

また以後6年に一度改編するという規定も大区小区制施行と併せて行われた1回程度で、多くの問題点があった戸籍であったとも言われている。基本的に明治11(1878)年以前はこの戸籍を戸長が管理し、郡村制施行後は役場が管理した。

壬申戸籍では、皇族、華族、士族、卒族、郷士、旧神官、僧、尼、平民等を別個に集計した。このとき被差別部落民は賎民解放令に基づき、平民として編入されたが、一部地域の戸籍には新平民や、元穢多、元非人等と記載されるなど、差別は色濃く残った(一部は明治19年式戸籍や身分登記簿にも登載された)。

その他、職業も記載様式に含まれており、華族、士族では主に禄高を、平民では農工商雑と記され、業種も記載された。

また、この戸籍では宗門人別の性質を残すため、寺、氏神の記載があった(明治18(1885)年廃止)。また、妾も二等親族として戸籍の登載を認められた(明治15(1882)年廃止)。

ほか、使用人、家来等は他人であっても養育している者は附籍として、その養育する者の戸籍に登載されていた(明治15年登載禁止。明治31年廃止)。

明治19(1886)年、壬申式から統一書式を用いた戸籍へと変更が行われ、同年11月より徐々に移行され、明治31(1898)年戸籍法によりこの様式は改正原戸籍として取扱われた。

昭和43(1968)年、被差別部落民かどうかを探り出すためにこの戸籍が用いられようとした事件が発覚し、閲覧が禁止され、同年、公開さえも禁じられ、以後、封印保管された。

現在は各地方の法務局に厳重に保管されており、戸籍簿自体の閲覧は不可能である。学術研究目的での閲覧を許可するように求める声はある。

現在でも、壬申戸籍の情報公開請求をした事例が平成13(2001)年、および平成16(2004)年に見受けられるが、いずれも却下されている。

壬申戸籍の記載様式例 (実際は縦書き)
○○番屋敷居住(借店)
        平民 魚屋渡世
        先代 父太助亡
        戸主 二心 太郎

         壬申年 五十

旧幕臣     妻    はな
中村主水三女  壬申年 四十八

武蔵国北豊島郡 妾    さき 
金杉村農茂助妹 壬申年 廿一

旧幕臣     附籍 椿 三十郎
大塩平八郎弟  壬申年 六十五

氏神 八幡社
寺  浄土宗 ○○寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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