<< 中国の軍拡による日本の危機を真摯に訴える『日本核武装入門』 桜井よしこ | main | マルコス大統領からのタガログ 渡部亮次郎 >>
なんでいまごろ? あのフォークランド紛争から27年を閲して 宮崎正弘
フォークランド北海域から石油が噴き出し、アルゼンチンが紅色の政治顔に。新世代は「フォークランド紛争」(アルゼンチンでは「マルビナス戦争」という)と言われても興味も関心もないだろう。

歴史のくず箱へ投げられて二十七年がたった。フォークランド諸島のことをアルゼンチンは「マルビナス諸島」と呼んで、いまも自分の領土だと主張している。

1982年だった。アルゼンチンが「マルビナス諸島(フォークランド)はもともと自国領だったのだ」と突如、言い出して同島にアルゼンチン軍事政権は軍を送り込んで軍事占領した。

欧米のメディアにも事後報告的に「意見広告」を打ち、「マルビナス(英語名フォークランド)は昔からアルゼンチン領土です」とやってのけた。

このため英国(フォークランドは英国植民地)は激怒し、ブエノスアイレスに蟠踞する軍事政権に対してロンドン政府は即時無条件撤退を要求したが、いささかも応ぜず、それではと敢然と立ち上がった鐵の女=サッチャー英首相は軍艦を派遣した。

英海軍は出動命令から貳ヶ月後に当該海域に到達した。先週亡くなったアレキサンダー・へイグ将軍が当時、アメリカの国務長官。ヘイグはロンドンとアルゼンチンを往復し、戦争回避の調停に懸命に動いたが失敗した。

1983年、皮肉にもアルゼンチン軍の放ったフランス製エグゾセ・ミサイルで、英海軍軽空母が大破したりしたが、結局、英軍が圧勝し、フォークランドは元の英国領の鞘に収まった。ブエノスアイレスの軍事政権は崩壊した。

▲石油がでるまで声もあげなかったのに?

フォークランドは住民が僅か三千人未満。漁業と牧畜だけでほかに産業がない。住民の高度な自治が実現しているが、住民自身はアルゼンチンへの帰属を望んでいない。

フォークランドの北方100キロの海域に海底油田が発見され、実際のリグ構築により試掘が始まるのが1998年、それも英国のメジャーではなく、ちっぽけな企業(デザイア・ペトロ)だった。そして石油がでた。推定埋蔵は650万頓。

この間、アルゼンチンは猛烈インフレ、女性大統領フェルナンデス・キルチネス一家(夫のキルチネスは前大統領)の汚職の声も聞かれ、評判は最悪。

「英企業がマルビナス海域で石油を試掘しているのは国際法に違反する」と急に抗議の雄叫びをあげ、同海域を通過する船舶すべてはアルゼンチン政府の許可を得ることを要求し、そのうえで反米・英で固まる周辺諸国の賛意をとりつけ、またもやややこしい状況を演出する。(さすがペロン、エビータ伝説の国、やることがえげつなくも大胆だ)。

事態をさらに悪化させつつあるのが「反米マオイスト」の異名を取るベネズエラのチャベス大統領である。

チャベスはただちにアルゼンチンの立場を支持し、ラジオで「英国よ、いつまでマルビナス諸島に居座るのか。英国女王よ、大英帝国の時代はとっくに終わった。マルビナスをアルゼンチン国民に返したまえ」と言ってのける。

似てませんか?1982年、アルゼンチンはなぜ無謀な領土要求をなして英国と戦争を始めたか。

当時のグルディエリ大統領(軍事政権)が人気急落のすり替えに対外矛盾を利用し、国民の目をそらす戦争をおっぱじめて、人気回復を図ろうとしたからである。アルゼンチンはまたまた無謀な戦争をしかけるのか?

杜父魚ブログの全記事・索引リスト
| 宮崎正弘 | 16:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







スポンサーサイト
| - | 16:38 | - | - | pookmark |







コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://kajikablog.jugem.jp/trackback/996060
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>

SEARCH

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENT

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE