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航騎鎮西 西村眞悟
我が国の鳩山由紀夫と其の内閣は、優柔不断でいることだけを決意し、全力をあげて無能であろうとしている。迫りつつある真の我が国の危機を見つめようとしていない。従って、だんだん総理や与党幹事長の、顔を見るのも嫌になってきた。このような国民が日々増えているのを感じる。

そこで、この頃、このような者を最高指揮官に戴いている組織つまり我が自衛隊は、どんな思いで日々の訓練を続けているのだろうかと考えてしまう。
 
そのような折、熊本の益城にある西部方面航空隊を訪れることができた。その隊舎正面玄関前の芝生の中に「航騎鎮西」と刻まれた石が置かれていた。

まことに、「鎮西」と刻むにふさわしいところだ。まさに最前線の実戦部隊であるからだ。
 
ここは日々、実戦部隊としての訓練を続けている。ところが、総理大臣・最高指揮官は危機を見つめようとしていない。そこで、この現実を受け止めた上で、我が国のシビリアン・コントロールとは如何なる原則なのだと解釈すべきか(これが、法律実務家の解釈態度。国連中心主義とか九条の会解釈は「法の解釈」ではなく「お経の解釈」)。

シビリアン・コントロールとは、どう考えても、無能の者に野放図に指揮させる原則ではあるまい。従って、我が国の現実を踏まえて、もっと具体的には、鳩山君の顔を思い浮かべて、「あの無能の総理大臣でも合理的な指揮ができる原則」がシビリアン・コントロールだと理解しなければならない。
 
では、どうすればそれが可能になるのか。

それには、統合幕僚長や各幕僚長が、スタッフとして総理大臣を補佐する完璧な体制を整えることだ。要するに、軍事専門家が総理を補佐する体制が今必要である。

イギリスやアメリカは、常にこの体制下にある。アメリカ大統領の乗る飛行機は、エアー・フォース・ワンと言われ原爆発射ボタンをもつ将校がいつも同乗している。我が国も早急にこの体制に近づけていかねばならない。

訪問した西部方面航空隊においても、隊員に「最高指揮官はアホですよ」とだけ言って済ませてはいけないので、「安心してください、総理には諸君の先輩の統合幕僚長や各幕僚長が付いているので指揮の軍事的整合性は確保できる」、とお伝えした。

さて、鳩山内閣が誕生してから、沖縄がおかしい。同時に、日米関係の意思疎通がぎくしゃくしてきている。

ここで思い出すのは、フィリピンのスービック基地からアメリカ軍が退去してからの中共の人民解放軍の行動である。つまり、力の空白が生まれた際の中共軍の行動だ。中共軍は、すみやかに、フィリピンの南、南シナ海の南紗、西紗諸島を占拠して、着々と拠点を増強して、海上に今や3000メートル滑走路まで建設してしまった。

そこで、沖縄・先島方面に力の空白が生まれた場合に、中共軍は、どう出るのか。

台湾海峡はもちろん、尖閣諸島と沖縄本島周辺で行動を起こす。彼らは、二十二年間、何の為に毎年二桁伸びの軍事費を投入して軍隊の近代化を進めてきたのか。我が国を圧倒する軍事力を獲得して好機到来の際には一挙に軍事行動に出る為である。

そして中共は、政権が鳩山・小沢コンビに交代してから、着々と東シナ海方面に力の空白が生まれてくるかと見つめはじめている。

その前兆として、中国人特有のプロパガンダ攻勢をはじめたようだ。中国の保釣連合会(つまり尖閣諸島を守る会)というところが、尖閣諸島が中国の島であり、現在の日本の領有が日本軍国主義の再現であることをアピールする映画を作り、世界各国で上映すると発表した。

国内では、「政治と金」の議論に明け暮れ、其の原因を造った総理大臣が「引退したら百姓になりたい」と子供たちに言っているが、その無策のおかげで、今、東シナ海では緊張が高まってきている。

では、この情況の中で、日々訓練をして睨みをきかせている部隊は何処か。それが、西部方面航空隊である。いざとなれば、沖縄本島はもちろん、与那国、尖閣諸島に兵員、武器、弾薬を積み込んで飛び出してゆく。

従って、彼らの日々の訓練が即ち抑止力なのである。それ故、冒頭、「鎮西」と刻むにふさわしいところと書いた。

大阪に戻るに際して、第三飛行隊の隊員に対し、「皆さんが訓練を続行されているうちに、政治の世界にいる我らは、自衛隊を誇りある日本の名誉ある国民の軍隊にする為の、真の保守の新党を創造する責務がある」と述べた。

皆さん、ご苦労さん。大道廃れて仁義あり国乱れて忠臣ありという。黙々と御国の為に訓練に励む皆さんを、片時も忘れてはいない。

なお、この度の西部方面航空隊訪問は、同航空隊第三飛行隊出身の植山洋一さんのご尽力により実現した。植山さんと私とのご縁は不思議なので改めて書くことにする。八代市大田郷小学校で植山さんが習った徳永康起先生に、後年私もご指導いただいたのだ。

植山さんは、中学を卒業して陸上自衛隊に入り、回転翼パイロットとして各地を転戦。八尾の中部方面航空隊にもいた。そして、平成七年、西部方面航空隊第三飛行隊の時に阪神淡路大震災被害者救援のために神戸の王子公園ヘリポートに連日飛んできていた。

また、平成九年五月、私が尖閣諸島魚釣島に上陸視察しているとき、中共がちょっかいをかけてきておれば、あの南の海域で出動した第三飛行隊の植山さんと出会えたかも知れない。この年に植山さんは中佐で自衛隊を退官した。

私の家は、植山さんがいた八尾基地と信太山演習場の中間地点にある。八尾基地のヘリは仁徳天皇陵を目印にして南下してくるようだ。時々、家の上を八尾基地のヘリの音が聞こえると嬉しくなり庭に出て見上げる。もっと低空なら手を振れば分かるのだがと残念に思う。あの植山さんも、このように堺の上空を飛んでいたのだと思うと懐かしい。

諸兄姉にも、自衛隊のヘリを、ご苦労さんという思いで見上げていただきたいと思う。

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