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ライシャワー発言の頃 渡部亮次郎
「米軍艦艇は核兵器搭載のまま日本の領海を通過し、日本の港に寄港してきた」とするいわゆる「ライシャワー発言」は古森義久氏(元毎日新聞記者、現在は産経新聞ワシントン駐在記者)の大特ダネであり、勲章である。

それにも拘らず朝日新聞は何をとち狂ったか、「共同記者会見で初めて明らかにされたものだ」とする捏造記事を掲載したので、古森氏は「こんな虚偽の報道をするとは、責任者のコメントをいただきたいところです」と自らのブログで怒っている。(19日、「頂門の一針」2月21日号でも紹介)  http://komoriy.iza.ne.jp/

古森氏は言う。
<朝日新聞2月17日朝刊に「インタビュー 日米同盟の見方」という長い記事が載りました。ニューヨーク駐在の朝日新聞の山中季広記者がライシャワー大使の補佐官だったジョージ・パッカード氏にインタビューした記事です。

パッカード氏の近著『ライシャワー氏の昭和史』の内容に沿った記事でもあります。

ちなみに私もパッカード氏とは長年の知己であり、今回の書の執筆の最終段階で同氏にランチに招かれて、「ライシャワー発言」の取材などについていろいろ質問されました。

パッカード氏の著書にも明記されているように、ライシャワー氏は1981年5月9日、当時、毎日新聞記者だった私のインタビューでの質疑応答で、私の質問に答えて、

「日本政府の『核持ち込ませず』という宣言にもかかわらず、米軍艦艇は核兵器搭載のまま日本の領海を通過し、日本の港に寄港してきた」と明かし、「日米政府間には『持ち込み(イントロダクション)』という言葉の解釈の違いをそのままにする秘密の合意があった」と述べました。

日米密約の暴露であり、非核三原則の虚構の公表でした。毎日新聞はこの「ライシャワー核持ち込み発言」を81年5月18日朝刊で大々的に報道しました。

この報道はスクープとなり、その年の日本新聞協会のニュース部門賞を受けました。

当時、毎日新聞のこの報道を受けた日本の他のメディアはさっそくライシャワー氏にその件での取材を申し込み、同氏はそれを受けてアメリカでの5月18日にハーバード大学で記者会見を開きました。

その会見の場で、私に語ったこと、つまり毎日新聞の当初の報道と同じことを繰り返しました。つまり核持ち込みの虚構を確認したのです。

ところが今回の朝日新聞の報道はこのライシャワー氏が古森とのインタビューで虚構を暴露した事実や、毎日新聞がその暴露を大々的に報道した事実、さらにはその毎日の報道を受けてこそライシャワー氏が記者会見を開いた事実など、すべて無視しているのです。

無視というより、故意の隠蔽というほうが正確です。

この朝日新聞の報道はライシャワー氏が日本の各メディアとの共同記者会見の場で、初めて核持ち込みの虚構を暴露した、と報じているのです。これはどうみても虚偽、虚構の報道です。>

老いたりとはいえ、「日米関係」の現場にいた身だから、脳のどこかが刺激を受けた。「ライシャワー」は私には悪い記憶として残っている。当時、外務省で大臣秘書官として、善後策に奔走させられた記憶しかないからである。

古森スクープの載った5月18日は月曜日で、総理大臣官邸で午前10時から園田氏が鈴木首相から外務大臣の辞令を受け取った。あとで私も「外務大臣秘書官を命ず」という鈴木首相からの辞令を受け取った。

省内では、あちこちで古森スクープというか「ラシシャワー発言」を巡ってひそひそ話が交わされていたが、この日は記者クラブである「霞クラブ」との記者会見は予定されていなかった。

何しろ霞クラブ、毎日新聞の特ダネにわざと関心を示さなかった。「非核三原則の虚構」については外務省内は勿論、記者たちも古手は既に「常識」と見ていて、余り関心を示さなかった。

米側はマンスフィールド大使が20日になってやってきて、「これまで通り」の「ほっかむり」をきめこむ事をうちあわせて帰った。

一方、園田氏は福田、大平内閣に続いて3度目の外務大臣。それなりの「実績」に自負を持っているので、就任4日目になってセットされた、マスコミ各社のインタビューでは「否定」を貫いた。

また国会からは、その更に2日後の22日午後1時から衆議院本会議に呼ばれ、緊急質問で、社会党矢山有作、公明党矢野絢也、民社党塚本三郎、共産党不破哲三、新自由クラブ山口敏夫の各氏の「追及」を受けたが「否定」で切り抜けた。

マスコミは外務省ガライシャワー氏と平仄を合わせた答弁を期待したのは当然だが、長い間続けてきた「頬かむり」から転進するには準備期間が無さすぎた。

それよりも鈴木政権は日米関係が軍事同盟であるとする当然すぎる解釈を巡って「外交素人」の鈴木首相が浮き上がっており、一旦は慰留を受けた高島事務次官の問題処理も難問だった。

昭和39年からの佐藤栄作政権の遺物とも言える「非核三原則の虚構」が、いつ、どのような形でどう処理されるのか。足が地に着かず、腰も定まらない鳩山政権は捌けないだろう。

大森スクープと「ライシャワー発言」= 1981年に毎日新聞の古森義久記者の取材に対して「日米間の了解の下で、アメリカ海軍の艦船が核兵器を積んだまま日本の基地に寄港していた」と発言したことを受け、「非核三原則」違反を元アメリカ大使が認めたとして日本国内で騒動になった。「核兵器搭載艦船は日本寄港の際にわざわざ兵器を降ろしたりしない」の「ラロック証言」と並び有名な「ライシャワー発言」である。

なお、後の1999年には、日本の大学教授がアメリカの外交文書の中に「1963年にライシャワーが当時の大平正芳外務大臣との間で、日本国内の基地への核兵器の持ち込みを了承した」という内容の国務省と大使館の間で取り交わされた通信記録を発見し、この発言を裏付けることになった。

大森氏はレーガン共和党政権成立時の1981年、アメリカ民主党系の大手シンクタンク「カーネギー国際平和財団」に上級研究員として毎日新聞からの出向の形で勤務して、日米安全保障についての研究や調査に携わった。その間の同年5月、エドウィン・ライシャワー元駐日米大使にインタビューして「米軍の艦艇は核兵器を搭載したまま日本の港に立ち寄り、領海を航行することを日本政府が黙認する合意が日米間にある」という発言を得て、「日本の非核三原則の『持ち込まず』の虚構」として毎日新聞で報道した。

日本政府はこの「合意」を否定したが、その後、米側の公文書や村田良平元外務次官、吉野文六・元外務省アメリカ局長らが相次いでその存在を認め、そのライシャワー発言報道の正確さが証された。この報道は1982年、新聞協会賞を受賞した。(毎日新聞は3年連続の受賞)

さらに2009年には複数の外務次官、審議官経験者が密約の存在を認めた。それでも日本政府は否定しつづけていたが、2009年8月24日に民主党政権が現実味を帯びつつある中で外務省の薮中三十二事務次官はついに「そのときどきの話はあったと承知している」と述べ、日米間で見解の相違があり議論があったことを認め、今後、密約をめぐる文書の有無を調査するかについても含みを持たせるに至り古森の報道の正しさが政権交代と沖縄密約情報開示訴訟に吉野文六が2009年12月1日に出廷し証言することによって四半世紀たって日本においても公式に事実であると証明されつつある。

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