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鳩山政権の「まだら国家社会主義」 古森義久
鳩山政権が子ども手当の支給に所得制限をつけないという方針を発表しました。16歳未満の子どもがいる親にはその親がたとえ年間所得1億円でも、2000万円でも、子ども1人あたり年間31万円以上が贈られるというのです。

その財源はもちろん国民が払う税金などを主体とする公的資金です。子どものいない日本国民、子どもがすでに16歳以上になった日本国民が苦しい生活の中から払う税金が年間所得2000万円の子どものいる親たちにも回される所得の再配分には、肌寒いものを感じさせられます。

しかしもっと恐ろしいのは鳩山首相が子ども手当の所得制限なしの方針を発表しながら改めて述べた「子どもは社会が育てる」という言葉です。この耳ざわりのよい言葉には、子育ての主体は、母や父や家族よりも、国家であり、社会だという考えがにじんでいます。

子育てというのは、人間の最も私的な行為でしょう。カネさえあれば即、子育てが成り立つというものでは、ありません。子どもたちになにを教え、どう育てるか、それぞれの親が自分自身の信念を注ぎ込む精神的な側面がきわめて大きいはずです。

もちろん子育ての基盤となる社会の施設の整備は政府や国家の義務です。しかし子育てという行為自体はそれぞれの親が個人の価値観や道徳観、社会観を主体に、進める私的な活動のはずです。この子育ての「個」という核は、動物たちが自分の子に口移しに餌を与える光景にさえ、明白です。

北朝鮮のような全体主義国家では子どもを早い段階で親から引き離し、国家が集団で育てるという発想が実際の政策として実施されています。父や母が自分の子どもたちを自分たちの価値や精神の下で育てるという人間活動本来の姿を国家のイデオロギーを優先させて、抑えるという全体主義です。国家が画一性を子育てに押し付けるという構図です。

「子どもは社会が育てる」――実は個人の人間としての尊厳や発意を抑えつける恐ろしい考え方です。もっとも鳩山政権のすることは中途半端が多く、子育てを社会にゆだねるといっても、徹底はせず、不透明、不一致なところも多いようです。国家社会主義的な発想もスローガンは勇ましくても、穴ぼこだらけ、という感じでもあります。だからこの子ども手当もデコボコの多い、まだらな国家社会主義の試みにみえてきます。

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| 古森義久 | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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