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伊藤博文「暗殺100年」 岩見隆夫
台風20号の余波で、冷雨が激しく降りしきるなか、26日午前11時、東京都品川区西大井、初代首相・伊藤博文の墓所で<没後100年墓前祭>が催された。

1909(明治42)年のこの日、伊藤は旧満州のハルビン駅頭で、韓国の独立運動家、安重根に射殺される。44歳の若さで首相に就き、4次にわたって内閣を率い、事件当時は初代韓国統監を経て枢密院議長だった。68年の生涯である。

暗殺は、伊藤が日本による韓国支配の元凶とみられたからだが、最近は<標的を間違った>とみる学者が多い。なぜなら、伊藤は明治末期、韓国側にもっとも理解を示した実力者で、伊藤が生きていたら、日韓併合(暗殺の翌10年8月)は避けられたかもしれない、という見方もある。

ところで、墓前祭には伊藤一族や郷里・山口県、品川区の関係者ら150人が傘をさしながら参列した。

祭主の山口出身、林芳正・伊藤博文追頌(ついしょう)会会長(参院議員・元防衛相)が誄詞(るいし)(故人の人徳、足跡をたたえる言葉)を述べる。国会召集日と重なったためか、ほかに国会議員の姿はなく、さびしいことだ。

林はこのなかで、「日本最初の憲法制定において、伊藤公は『憲法は英語でConstitutionと言うが、構造とか骨格という意味だ。憲法を論じるのに、条文の表現も大事だが、<国の形>をどうするかが第一である』と主張したといわれる。改めて胸にしみる言葉だ」などと大先輩をたたえた。いまに通じる。

<50年祭>も安保騒動の前年、59年の同じ日、同じ墓所で行われ、この時は吉田茂元首相、宇佐美毅宮内庁長官、足立正日本商議所会頭ら政官財のお歴々が参列、今回よりはるかに盛大だった。追頌会会長の岸信介首相が、

「時局多端な折から、格別のご加護を賜りたい」と神妙なあいさつをしている。伊藤と岸は生家(山口県熊毛郡束荷(つかり)村・現光市)が隣り合わせだった。

没後1世紀、伊藤の存在も次第に遠くなっていくのだろう。この日出席した伊藤家代表の伊藤博雅は4代目、80歳である。

「父の博精(ひろよし)(3代目)は孫ですから、博文公の晩年、いっしょに暮らした時期があるが、『祖父は明治天皇の信頼をいちばん受けた。それを後世に言い伝えるように』とよく言われましたね。韓国との関係では困ったこともあった」

と言う。博雅によると、戦後50年目になる95年夏、金永光という韓国の国会議員が予告もなく神奈川県鎌倉市の自宅を訪ね、

「安重根の孫がいるので、恩讐(おんしゅう)を超えて10月26日、事件現場のハルビンで握手してほしい」と子孫の対面を提案され、驚いたという。安重根は凶行の翌年処刑されたが、いまも韓国では民族英雄として崇拝される人物だ。

だが、暗殺事件に政治的なけじめがついているわけではない。結局、断った。

伊藤の首相就任(1885年)から124年、鳩山由紀夫首相は60人目だ。伊藤が殺された時、<憲政の神様>と言われた尾崎行雄は、

「あれくらい国のことを思えば立派なものだ」と称賛したが、歴代60人のなかでも伊藤はAランクの別格。内閣制度の確立、憲法起草、日清戦争の勝利、条約改正、政党内閣の誕生など、近代日本の骨格を作り上げた業績は、長く記憶され、繰り返したたえられていい。

墓前祭は一行も報じられなかった。歴史上の偉大な先達への正当な評価が、この国は乏しい。(敬称略)

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