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「私」にこだわった筑紫哲也さん 岩見隆夫
これから書くのは、ニュースキャスターだった筑紫哲也さんの追悼文ではない。追悼は時機を失している。亡くなって一年、筑紫さんを通じてジャーナリズムのあり方を考えてみたい。

昨年十一月七日、筑紫さんが闘病生活のすえに他界した時のことをよく覚えている。ああ、とうとう、と思った。同年生まれの古くからの友人である。筑紫さんは私たちの世代の右代表という存在だった。だから、ショックというより、わが世代もそろそろバトンタッチの季節に入ったな、という感慨だった。

筑紫さんの交遊、人脈の広さは、死亡によって改めて証明された。韓国大統領から吉永小百合さんまで死を惜しんだ。『スポーツニッポン』紙は一ページ全部使って〈芸能界の衝撃〉を伝え、やはり闘病中だったロック歌手、忌野清志郎さん、あとを追うことになるのだが、

「一緒に温泉に行ったんです。仲間意識があったので、とても残念です」と語っていた。井上陽水さん、武田鉄矢さん、和田アキ子さん、石川さゆりさん、みんながお別れのコメントをした。新聞、テレビ、週刊誌はさながら筑紫ブームだった。

一年前、私も哀悼の一文を書きかけたが、結局、書きそびれた。ジャーナリスト仲間では、田原総一朗さんが、「頼りになる戦友でした。自分の意見を鮮明に引き出す人で、批判を受けることもあったが、よく頑張ってくれていた」

と言い、鳥越俊太郎さんは、「座標軸のような人だった。自分がどこにいるのか分からない時、〈時代の灯台〉になってくれる、そんな存在だった」

と述べていた。また、佐高信さんは、「体型にも似た大らかさ、柔軟さが筑紫さんの特徴だったのでしょう」

と書いている。人の批評はむずかしく、批評を批評するのは僭越かもしれないが、三人のコメントはいずれも私の感じとちょっと違うように思われた。一年たってから、静かに筑紫さんをしのぼう、とその時決めたのである。

思い出はいくつもある。TBSの局内を歩いていると、うしろから、

「岩見さーん」と声がかかる。振り向くと決まって筑紫さんの柔和な顔があった。二十年前、〈NEWS23〉のキャスターに決まる前も、

「どうだろうか」と電話をもらい、意見を求められた。『朝日新聞』記者の筑紫さんが、『毎日新聞』系列のTBS番組を担当することにひっかかりがあるようなニュアンスにも聞こえたが、私は即座に大賛成だと答えた覚えがある。この番組にはコメンテーターで何度もお付き合いしたが、筑紫さんは、

「はあ、はあ」といつも聞き役に回り、自己主張は抑制しているように見受けられた。やはりTBS番組の〈時事放談〉で、司会役の私が所用で穴をあけた時は、筑紫さんが埋めてくださった。

◇ネット時代で問われる会社員ジャーナリスト
私なんか、いまだに政治記者の枠から一歩も出られないが、筑紫さんは政治はもちろん万般をこなす、キャスターでは多分日本で唯一人のオールラウンド・プレーヤーだったのだろう。そして面倒見が抜群にいい。後藤田正晴さんの出版記念会に出向いても、瀬戸内寂聴さんの文化勲章受章祝いをのぞいても、主役をつとめる筑紫さんの姿があった。

だが、これらのことは、筑紫さんのいわば表の顔で、実際は難解な人柄ではなかったか、と私は漠然と察している。感情を外に出すようなことはめったになく、たえず陽気に振る舞う。私などは、すぐ顔に出る、と言われるが、筑紫さんはそうではなかった。

新聞からテレビに転身した著名ジャーナリストとして、テレビ・メディアを代表する〈日本の顔〉として、筑紫さんは満足していたかと言えば、おそらく不満や悩みが相当たまっていたと思われる。その片鱗は、次のような言葉にあらわれていた。

「いまはインターネットの時代、一次情報がすでに届いているところで、新聞は何をやるべきか。やはり、もっと書き手の感じたものを出さないと。新聞は〈私〉に禁欲的で、踏み出すと新聞記者が書くものじゃないと言われる。

テレビキャスターに転じて、〈私〉を出さない限り、伝わるものも伝わらないという思いが強まった。テレビの場合、取材現場に向かう〈歩き〉から撮る。それに比べ新聞は素っ気ない。新聞もテレビ局も、会社員ジャーナリストの限界がすごくありますね」

亡くなったあと、『毎日新聞』夕刊(十一月十八日付)の〈追悼・筑紫哲也さん〉に載った藤原章生記者の生前インタビューである。〈会社員ジャーナリスト〉という言葉は、筑紫さんの造語ではないかと思う。

自己抑制的な性格のせいもあるのかもしれないが、筑紫さんは記者時代、特にキャスターになってからも、〈私〉を出し切れなかった悔いが残っていたに違いない。

インタビューでは、TBS社長との酒席でのやりとりも明かしていた。筑紫さんが問いかける。
「なんでそんな大金を払って僕を雇ってるの」

「テレビ局は免許事業だから、すごみがないと国にしたい放題やられる。だからあいくちがなくちゃならない。それを全部自前(の社員)でやるとがんがん言われる。誰かにやってもらわないと」
「要するにおれは弾よけか」「そんなもんですな」

興味深い話だ。だが、どんな意図にしろ、〈私〉を出すのは楽なことではない、新聞が署名記事を増やし、テレビのキャスター、コメンテーターたちがしゃべりまくれば、それでこと足りることではないのだ。

〈私〉の出し方が深刻に問われる。自戒もこめて言えば、いまの日本のレベルは決して高くない。筑紫さんもそのことに気づいていたはずだ。筑紫さんはジャーナリズムに重たい宿題を残して去っていった。(サンデー毎日)

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