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「ニュルンベルク裁判」と「東京裁判」 クライン孝子
長い戦乱の歴史を通して「戦争で負けて失ったものは戦争で取り返すしかない」という現実に徹したドイツと、初めて敗戦を経験した日本との差であると指摘する。

国民性からいえば「したたかな大陸国民」と「従順な島国国民」の違いかもしれない。

戦後60余年、その差が「教育」「外交」「情報機関」「メディア」などいたるところに噴出している。国民に迎合する民主党政権にこの末路の状況を打開できるのか。
 

まずは戦争犯罪人を裁いた「ニュルンベルク裁判」と「東京裁判」をみる。いずれの裁判も戦勝国の戦争犯罪を覆い隠し、勝者が敗者を一方的に裁いたものである。

起訴されたナチ指導者は24名(うち1人は公判前に自殺1人は病気のため訴追免除)死刑12名(死刑は1946年10月16日に執行された)終身刑3人、有期刑4人、無罪3人であった。

ドイツ人は敗戦国としての世の常と割り切って、この裁判を受け入れたもののこれが正当性のない報復裁判であることもしっかりと心に刻み込み、精神においてはこれに屈することは決してなく、ましてや自国の歴史観に影響されることをよしとしなかった。

ドイツ人は本音の部分でこの裁判を認めなかったのだ。日本となんと言う違いであろう。

東京裁判で起訴された指導者は28人(判決前病死2人)、死刑7人(処刑は1948年12月23日)終身刑16人、有期刑2人、訴追免除2人。

東京裁判で戦勝国が敗戦国を「戦争犯罪国家」とレッテルを張るために使った勝者側の歴史観を日本人がそのまま受けいれているとは、アメリカにしても想像もしなかったことであろう。

その想像もしなかったことが日本では起きた。

日本を戦争犯罪国家と規定したいわゆる「東京裁判史観」を金科玉条とする国民が大量に出現してしまった。マスコミもそれを信じている。

A級、B,C級は占領軍がつけた区別にすぎない。戦争犯罪人という呼称も旧敵国がつけたものである。しかも東京裁判は占領下に起きた出来事である。処刑された人々を国は「法務死」と呼ぶ。「昭和殉難者」という人もいる。靖国神社に合祀さる手続きも合法的に行われている。
 
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