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自民党はどこに行くのか 岩見隆夫
衆院119議席に縮んだ自民党はどこに行くのか。政権党として復活できるのか。大敗のあと、最後まで残る選挙に強い男、と言われた自民党の加藤紘一元幹事長(山形3区)が、ある席で、

「気味の悪い空気を感じましたね。こんどばかりは落選するかと思った」ともらしたという。結果は5万票差で当選したが、前回の11万票差を大幅に減らしたのだ。

自民党半世紀の盛衰史のなか、気味の悪い空気にさらされたことがもう一度ある。60年の安保改定騒動、加藤は空気を醸成する学生デモ隊の側にいた。

この時、自民党はどう動いたか。いまの参考になる。

岸信介首相が退陣を余儀なくされ、後継を池田勇人通産相と佐藤栄作蔵相が狙った。しかし、岸の側近だった福田赳夫農相は、野党・民社党の西尾末広委員長を後継首相に担ごうとする。

西尾らは60年1月、社会党と別れ、民社党を結成したばかりで、安保改定にも反対でなく、現実的な対応をしていた。西尾は片山内閣の官房長官、芦田内閣の副総理をつとめた重鎮、福田は政界入り前からじっこんだった。

「これだけ騒がせたあとの収拾は、通常の交代では乗り切れない」と福田は主張し、岸の内意を得て西尾の説得を重ねるが、不首尾に終わる。

一方、そのころ、池田の側近、宮沢喜一(元首相)のもとには、岸退陣要求の論陣を張った友人の朝日新聞論説主幹、笠信太郎が訪ねてきて、 「こういう騒ぎのあとは、池田さんのような剛球投手では具合が悪い。ここはゆったりと床の間に座って、全体を包み込むような人でないと収拾はむつかしい。ついては、あとを石井(光次郎)さんにやらしてくれ」

と頼み込んだ。石井は朝日出身、岸と総裁選を争ったこともある温厚な人物だが、池田にその話を伝えると嫌な顔をしたという。宮沢が回想している。

「池田という人は世間から剛球投手と思われていたんだなあ。結果として、池田さんが時局を収拾したわけで、所得倍増など経済主義路線をとり、その後の経済大国、いいようによってはエコノミックアニマルといわれる日本の出発点になった。

これはむろん、たくらんでやったことではないんですね。岸さんが辞めて、世の中が急に静かになって、一種の虚脱感みたいな状態だった」(「権力の中枢が語る自民党の三十年」読売新聞社・85年刊)

その虚脱状態を、<寛容と忍耐>のキャッチフレーズ、低姿勢のソフト路線、所得倍増などの新政策で埋めていく。チェンジ・オブ・ペースに成功したのだった。

約半世紀前の当時といまでは、政治・経済・国際情勢がまるきり違う。自民党はまだ圧倒的第1党だったし、経済は上り坂、世界は冷戦構造下にあった。

だが、政治的エアポケットという点では酷似している。今回、民意は自民党政権を見限り、民主党新政権を誕生させ、まさに<チェンジ>だけはやってのけたが、今後の<ペース>がどんな具合になるか。

岸・池田の交代から25年後、中曽根政権下だが、岸は、「長く政権の座にあるために、自民党は改革を要することをやりえない。一度、野に下ることが必要だ」(同)

と言い切っている。さらに25年、遅きに失する下野だったのか。

自民党はおたおたせずに、ここは腰を据えて党の歴史をしっかり検証し、新たな道筋を探ったほうがいい。(敬称略)

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