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宰相としては第一級の人物・緒方ありせば 古沢襄
緒方竹虎は政治家としても新聞人としても傑出した人物であった。戦前はアカ、左翼と陰口を叩かれ、戦後は右翼と目されたりた。しかし緒方の思想は戦前も戦後も一貫している。評する側が戦前と戦後で入れ替わっただけである。

そして評する側は時代の流れとともに泡沫のごとく消えていった。緒方を知る政治記者は夜回りの時に、吉田茂のことを”総理”とは一度も呼ばなかったと証言している。いつも”あの人”と呼んでいた。副総理が総理を”あの人”としか呼ばなかったのは、戦前も戦後も緒方だけであろう。そこに緒方の強烈な自負を感じる。

「歴代宰相物語」の著者・松本幸輝久は、大正の大隈内閣から戦後の池田内閣まで三十二人の歴代宰相伝を書いているが「大宰相もいれば、小宰相もいる。自我だけが出過ぎて鼻もちならないのも居れば、世評とは全く逆で、私心のない聖君子のような宰相もあった」と言った。

また「結局、最後は宰相もただの人間、夾雑物を除き去って、さてはと眺めれば人間性だけの勝負になるのかもしれない」と至言を吐いている。

この言葉に打たれて、松本に会った。読売新聞の大記者で、東京タイムズの編集局長、日本テレビの専務取締役を歴任した松本に会うのは、多少の気後れがあったが、会ってみると話好きの好々爺だった。

話が面白いので何度か松本のところに通った。父の友人であった青山鉞治(中央公論編集者 横浜事件に連座)とも親しかった松本には特別に面倒をみて貰った気がする。

その松本が「今もし緒方が世にあらば、と考える識者は少なくない。聡明で、理知的で、高い文化性と包容力、そして人間的貫禄の重さを十二分に感じされる偉丈夫。庶民性と貴族性が、この人ほど調和した政治家はない。清潔で、己を持しながら適当な妥協性もあって、総裁、宰相としてはまさに戦後の第一人者だった」と最大級の賛辞を呈した。

緒方という人物の興味を持ったのは、それ以降のことである。

吉田に緒方を紹介したのは古島一雄。だがスケールが大きい緒方は、吉田にとって煙たい存在であった。吉田は外務官僚だったから佐藤や池田の様な高級官僚を重用した。緒方は新聞人らしく官僚嫌い。

造船疑獄の時である。緒方は副総理だったが、空前の危機を乗り切るために吉田は、佐藤幹事長の後任に緒方を推す党内の空気を察して、緒方に幹事長をやれと言った。だが、すぐ変心して池田を幹事長に据えている。吉田学校の優等生に頼ったといえる。

吉田政権が行き詰まった時に、吉田は強気一点張りで解散に固執した。吉田・緒方会談で緒方は総辞職論を説いている。「吉田が解散するのなら、私は閣僚として解散の書類には署名しない。政界も引退する」と吉田に迫った。

緒方は、この日の日記に「瞬間、吉田は僕の罷免を決意したる如し」と記している。

閣議で吉田は解散を主張して譲らない。緒方の意を体した大達文相が総辞職を主張し、怒った吉田はプイと席を立って戻らなかった。そこで緒方は吉田不在のまま総辞職の手続きをとり、吉田は総裁を、池田は幹事長を辞任。緒方は総裁になり、石井光次郎が幹事長になった。

保守合同前夜の話である。(敬称省略)

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