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「第6軍団事件」の再発があるのか? 古沢襄
金正日側近の金永春国防委員会副委員長が人民武力部長に内定したことには二つの見方がある。これによって軍部は金永春ら急進強硬派が完全に権力を掌握したという見方がある一方で、北朝鮮経済が破綻寸前にあり、軍の存立そのものが危うくなっているという見方がある。

韓国の朝鮮日報は後者の立場で北朝鮮の窮状を解説している。これが正しければ金永春国防委員会副委員長が軍内部の引き締めを図っても、1996年の「第6軍団事件」が再発する可能性がある。

<「金正日(キム・ジョンイル)の男」と呼ばれるほど、金正日総書記に絶対的な忠誠を示す金永春(キム・ヨンチュン)国防委員会副委員長が、人民武力部長に内定した。金永春氏が軍の前面に登場したのは、北朝鮮内部の状況がそれだけ深刻な状況にあることを意味している。金総書記の重病説や後継者問題も重要だが、さらに深刻なのは、経済問題により軍の存立そのものが危うくなっている点だ。

北朝鮮では1990年代中盤に起こったのと同じように、数多くの住民が餓死しそうな徴候が出始めている。最近北朝鮮を脱出した元軍人は、「北朝鮮では現在、各地で部隊から逃亡する兵士が続出している。腹をすかした兵士が民家を襲うこともある」と証言した。

北朝鮮では現在、部隊ごとに「強栄失中隊(強度の栄養失調状態にある軍という意味)」が存在するという。部隊は世論が悪化することを恐れ、栄養失調状態にある兵士を自宅に送り返すこともできず、放置したままだという。そのため「このままでは深刻な反乱が起こりかねない」と、この脱北者は指摘する。

師団長クラス以上の軍人たちは、5分単位で五つの部署から同時にその動きが金総書記に報告されるほど、強い監視を受けている。いつどこで反乱が起こるか分からないからだ。90年代以後の急激な経済難の影響で、北朝鮮内部、とりわけ軍内部ではさまざまな規模で金総書記に反発する動きが出始めている。

2004年に平安北道竜川郡で起こった爆発事件は、北朝鮮内に金総書記に反対する勢力が実際に存在することを示す典型的な事件だった。北朝鮮で金総書記の動きは護衛部隊にも秘密にされるほど極秘だ。少しでも移動する際には2重3重の鉄壁の警備が行われており、半径5キロ以内ではあらゆる爆発物のチェックが行われる。

それでも金総書記が通り過ぎる駅に爆発物が設置されていたのだ。最近韓国入りした元幹部クラスの脱北者は、「竜川駅での爆発事件は、無視できないほどの反金正日勢力が軍内部にも存在するという証拠だ」と述べた。軍保衛司令部は容疑者20人以上を逮捕し、拷問を行って自白を引き出そうとしたが、反政府勢力の実態を明らかにすることはできなかった。

1996年初めにも、金総書記をぞっとさせる大規模な事件が起こった。咸鏡南道に駐屯していた第6軍団が反乱を起こしたのだ。北朝鮮当局はこの事件を、「軍幹部による収賄とセックススキャンダル事件」として幕引きしようとしたが、実際は数百人の軍幹部が処刑されるほど事態は深刻だった。

人民軍の元将校だったある脱北者は、「南朝鮮の情報機関と連携して莫大(ばくだい)な資金を確保していた軍司令部全体が、この事件が起こった後、反逆者に転落したといううわさがあった」と証言している。金総書記の指示が軍団内で実行されず、主な幹部たちの間でも、「中国式の改革開放だけが生き残る道だ」という考えが浸透し始めているという。

第6軍団での事件は、末端の軍保衛部隊員により問題が提起され、中央に報告されたことで、結局は首謀者たちが一網打尽にされたものといわれている。その隊員が報告した内容によると、「軍団内部の雰囲気は、金総書記はすでに眼中にないほどだった。まさに反政府組織のように感じられるほど異常な徴候だった」という。この隊員は問題を上司に報告しようとしたが黙殺され続けたため、報告の手続きを無視して中央に直接報告した。そのため事件の全容が明らかになったという。

この事件が金総書記にも直接報告されてからは、軍保衛司令官のウォン・ウンヒ氏や金永春氏らが特殊部隊をひそかに移動させ、軍団の指揮系統を掌握した。その結果、いわゆる「反逆者たち」の陰謀は阻止された。金総書記は彼らに陰惨な罰を与えたという。

目撃者は「将校クラスの幹部はすべて服を脱がされ、後ろ手に縛られた状態で、冷凍車で運ばれる豚のように捕らえられていった」と証言している。軍団長や軍団の政治委員、保衛部長ら幹部たちは全員が処刑されたという。それ以外にも数百人の軍将校が処刑されたり、収容所に家族ごと入れられたりした。

その後は第6軍団そのものが解体され、部隊は別の軍団に編入されたが、第6軍団出身者は全員がつらい仕打ちを受けているという。しかし実際は、この事件以前にもさまざまな反乱事件が発生していた。

1992年から93年にかけても、旧ソ連軍事アカデミー出身将校11人がクーデターを起こそうとしたが、失敗して処刑された。「旧ソ連国家保安委員会(KGB)と連携して機密を海外に流した」というのが容疑の内容だったが、実際は深刻なレベルの反政府の動きが摘発されていたという。元将校の脱北者チャ・ソンジュさんは「彼らは人民軍内部ではエリートだった。この種の人間たちと金総書記はどうしても考え方が違ってくる」と証言している。

元労働党秘書のファン・ジャンヨプ氏は、「金総書記は頭の良い人間を軍のトップには絶対に置かない」と語る。頭が良いといつもほかのことを考えるというのだ。そのため北朝鮮で軍の幹部となるための最も重要な条件は、頭脳ではなく忠誠心だ。

ただし参謀には高級な頭脳を登用することもあるという。しかし現在、北朝鮮軍部では反政府的な考え方が最も強く、西欧に親しみを感じる北朝鮮の386世代(1990年代に30代で80年代に大学に通った60年代生まれの世代)が中間管理者となり始めているため、内部の反発はさらに強くなりそうだ。(朝鮮日報)>

第6軍団事件=1996年の将官級と佐官級軍人数十人が関与したといわれた大規模な反政府グループ事件。第6軍団は咸鏡南道に駐屯する部隊だが、この情報は北朝鮮で高い地位にあった脱北者によって明らかにされた。

脱北者によると「第6軍団事件は、軍団政治委員の傘下にいた将官級の軍人らと大佐級の軍人数十人が関与した大規模な反政府グループ事件で、外部の情報組織と連携して活動してきたが、摘発された」という。

1996年とは前年の1995年に金正日国防委員長が「先軍政治」を宣言し、軍内部の主流派を形成していた呉振宇元帥を頂点とする金鎰拏/磧呉龍訪大将、金明国大将、朴在京大将、チャン・ソンウ大将らの力を削ぐ動きをみせていた。

金鎰拏/磴蝋駛桧儖会副委員長から平(ひら)委員に降格。”作戦の鬼才”とうたわれた金明国大将は、朝鮮人民軍総参謀部の作戦局長から第108機械化軍団司令官に回されていた。

その後任は金正日側近といわれた李明秀。作戦局長のポストは金正日国防委員長の軍部隊・行事・工場の視察などに随行する最側近といわれている。

その後、李明秀作戦局長は国防委員会の専任に異動したといわれている。その後任に金明国が再度選ばれている。10年ぶりの復権といわれた。呉振宇元帥派と目されていた高級軍人にも復権のチャンスを与えている。

すでに呉振宇元帥によって追い落とされた呉克烈次帥ら朝鮮人民軍の近代化と改革を唱えたグループは、一斉に復権している。また、その前の1993年に旧ソ連軍事アカデミー出身の将官11人がクーデターの疑いで摘発・処刑されている。この93年事件の実態はよく分からない。

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