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グルグル回りの人の知恵 古沢襄
歴史は繰り返す・・・科学は際限なく進歩するが、人間の知恵は同じところをグルグル回りするものらしい。英国史を学んだ者にとって、ボーア戦争を招き、ナチスドイツを増長させ、第一次大戦の背景をつくったとされるチェンバレン外交の評価は、英国史の中でも興味あるテーマとなっている。

チェンバレン外交の特徴は”宥和政策”にある。それが「ナチスドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与え、ヒトラーに対して近隣諸国への侵攻をイギリスが容認していると勘違いさせた」として非難される・・・というのが後世の歴史家が下した一般的な評価といえる。

とくに1938年のミュンヘン協定は「第二次世界大戦勃発前の宥和政策の典型」とされてきた。ナチスドイツを現在のテロリスト集団と置き換えて考えたらどうだろう。ナチスドイツに対する融和政策は問題解決に資することがなかったと同様に、過激なテロリスト集団に対する融和政策は問題解決を先延ばしするだけである。

だが現実政治ではいつも対決型でない融和政策を民衆は好む。「チェンバレン氏がなんら政治的原則をもっていないことを忘れてはならない。彼はその一瞬だけに生きており、信じられない気安さで意見を変えてしまう。彼は自分の過去の意見表明を変えることに何ら恥ずかしさを感じない。

そして自己撞着を引き起こしても気にしない。彼は世論が何を欲しているか敏感に感じ取る。そして、世論を誘導しながら、その起伏に従う。人気がでるのもまた当然だろう」とは、同時代にチェンバレンを批判したフランスの駐英大使カンボンの言葉。

民主政治はいつも大衆迎合の政治家を生んできた。世論が何を欲しているか敏感に感じ取る資質は民主主義の政治家にとって欠かせない条件だが、それが堕落すると融和政策だけで困難な状況を固塗しようとする。

ナチスドイツがベネルクス三国に侵攻した時点で、チェンバレンの宥和政策は完全に破綻し英国首相を辞任、失意の中での退陣となった。後継には主戦派のウィンストン・チャーチルが就任して、保守党とともに労働党なども参加する挙国一致内閣が組織された。

戦後の英国史でも英国病で破綻したイギリス経済を不退転の決意で立て直したのは、対決型の”鉄の女”サッチヤー首相である。サッチヤーがもっとも嫌ったのは、”ウエット”と称する妥協的な政治家であった。

だがチェンバレン型や”ウエット”型の政治家や官僚は、時間がたつとまた復活してくる。北朝鮮を相手に際限のない譲歩外交を繰り返した米国のヒル国務次官補は失意の中で退場せざるを得ない。しかしオバマ政権そのものが対決を嫌う性格だから、第二、第三のヒル国務次官補型が出てくるであろう。

どう考えてみても人間の知恵は、同じところでグルグル回りしていて進歩しないものらしい。若い世代で歴史を学ぶ者が少なくなるのが、半分は分かる気がする。

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