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特ダネ競争の終焉 渡部亮次郎
日本の新聞各社は2009年から特ダネ競争をやめることにしたらしい。産経新聞の販売店から来た平成21年の新聞休刊日の知らせの冒頭が1月の休刊日は元旦とあるから飛び上がった。

新聞といわずメディアの命の本質は特ダネ競争であり、私が現役の記者時代の極みは元旦号を飾る特ダネ競争だった。記憶に残る特ダネの数々は各紙の元旦号を飾ったものだ。

中でも強烈だったのは読売がモノした「八幡・富士製鉄合併」だった。昭和43年か44年の元旦号だった。まさしく45年には新日本製鉄として合併が実現したから実に大の付く特ダネだった。

以後、元旦号を舞台にした特ダネ競争は何年も続いたが、何時の間にか消え、遂に2009年からは元旦号そのものがなくなるのだから、新聞の衰退もここまでか、という感慨を深くする。

社会が動いている限り競争して捕るタネは常に存在する。したがって特ダネが無いという事はそれを捕る能力が記者になくなったか、捕らせる体制に新聞社や放送局になくなったかである。

私の若いころ在職したNHKを報道機関とは内外ともに認めなかったからだろうか、新聞を出し抜く精神はどこにもなかった。私なんかはそれを是としなかったのでしばしば上と衝突した。それかあらぬか41歳までの在職中、元旦の特ダネ競争に参加した事は1度もなかった。

NHKのニュースは通信社から受け取る記事の語尾を「です」「ます」に書き換えるだけの時代を経て、自主取材を始めたのは戦後もしばらく経ってから。先輩たちは各省庁の記者クラブに加盟させてもらうのに大変な苦労をしたそうだ。

地方では取材先に「NHKですが」と行くと「聴取料は先日払ったじゃないか」と追い返されそうになることしばしばだったそうだ。しかしNHK自体、ニュースで新聞各社を超えようとする意欲を持ち出した時代だった。

1960年代に入ると、テレビの普及も手伝って、そういうことはなく、朝日新聞社から迎えた前田義徳会長時代は報道最優先体制が敷かれた。だが、視聴料不払いで財政難に陥った昨今は、政治記者の夜討ち朝駆けの車使用もままならないとか。こんな体制とあっては特ダネ記者の誕生は夢である。

一方、新聞各社の取材体制も似たり寄ったりだろう。取材費を惜しめばまず出稿料がガクンと減る。減れば買わない宝くじみたいなもので当りくじはなくなる。特ダネは遊んでいる記者の多いほどあるとはよく言われること。

こうなってくると、特ダネのない新聞は売れないし、売れない新聞に広告を出す企業は無い、となって悪循環の毎日になる。

かくして2009年からは新聞そのものが元旦から配達がされなくなるのだ。歴史に残る事実となるだろう「新聞の決定的な退潮はあの日から始まった」と。

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