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中国、援助外交でラオス侵食 桜井よし子
「メコン川にマンハッタンのようなビルが並び立ち、ラオスは中国に乗っ取られます。中国のアジア進出を傍観しては、日本の存在感はますます希薄になります」

こう語るのは日本在住のラオス人研究者である。時計回りに、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、中国の5ヵ国に包み込まれる形のラオスを舞台に、ここ数年、凄まじい中国進出が進行中だ。歴史的にラオス、カンボジア両国に強い影響力を及ぼしてきたベトナムが力を喪い、中国が取って代わり始めている。

「直接のきっかけは2009年の東南アジア競技大会がラオス主催になったことです。大規模競技場の建設資金も技術もないラオスのために、中国政府が8,000万米ドルをかけて競技場を造り、ラオスに贈りました。無償でヒモはついていないはずだったのが、いつの間にか、首都ビエンチャンの中心部一帯の広大な地域の50年間の賃借権を中国政府が得ていたのです。そこに5万人程が住むチャイナタウンがすでに造られつつあります」

06年の世界銀行統計で、ラオスの総人口は約580万人、ラオス在住の中国人は少なく見積もって約3万人と言われる。が、08年4月の米エール大学報告書は、中国人人口は、実際はその10倍に上ると指摘する。

これらのいわゆる゛旧中国人瓩鵬辰┐董△い沺5万人の゛新中国人疝僂猟が建設中なのだ。首都の一等地に、いきなり総人口の約1%、首都人口の10%弱の外国人町が生まれることへのラオス国民の懸念は深い。

香港の『アジアタイムズ』紙、マッカータン記者の報道(7月26日付)によると、ラオス政府中枢からも、゛決定過程が不透明瓠政府要人でさえ発表後に初めて知った瓩覆匹糧稟修噴出しているという。前述のラオス人研究者は、これでは首都中心部が中国に奪われたも同然で、5万人の中国人はあっという間に倍増、倍々増して、ラオス全体を席捲すると懸念する。内外の批判を意識したのか、ラオス政府は゛中国人町瓩箸いι集修鮖箸錣困法▲薀ス・中国友好センターと呼ぶよう指導中だ。

中国の望む資源開発
ラオスは19世紀末、フランス領インドシナ連邦に編入された。日本が第二次世界大戦に敗れたあと、フランスは、ラオスの独立運動を弾圧し、再び支配を強める。フランス支配の柱のひとつが、1950年代末にはラオスの商業取引の80%を支配するに至った中国人の排斥だった。1953年、ラオスは独立を勝ち取る。75年の社会主義革命で君主制が廃されて、誕生した社会主義政権も、財産没収、中国人学校の閉鎖、中国語新聞の廃刊などの措置で中国人を排斥した。

一方、79年に、中国はラオスに強い影響を及ぼすベトナムに侵攻。小平は「ベトナムを懲罰する」と公言したが、惨憺たる敗北を喫した。中国は、その後の89年、天安門事件で国際的に孤立する。その中国に関係改善の誘い水を向けたのがベトナムだ。仲介したのがラオス政府だ。91年、ベトナムと中国は国交を正常化した。中越関係の改善が、ベトナム、ラオス、カンボジアへの中国の進出に役立った。特に97年から98年のアジア通貨危機直後、中国は猛然と援助外交を展開した。

2000年、中国の国家元首として初めて、江沢民主席がラオスを訪れた。以来、これが中国の゛ソフトパワー甞宛鬚世箸いΔ戮外交を展開してきた。03年には国立文化会館を、04年にはその周囲の記念公園を整備した。中国政府は03年に多額の借款の返済も免除した。一方的に与える関係のなかで、中国はいまや、総額6億7,6000万ドル、236に上るプロジェクトをラオスで勝ち取っている。96年の中国の対ラオス投資は300万ドル、12年間で225倍に急増したことになる。

中国の投資は全体の3分の1が水力発電の開発に振り向けられ、残りの大半が金、銅、鉄、カリウム、ボーキサイトなど、中国が必要とする資源の開発に充てられている。一方で、中国の需要を反映してラオス国土のかなりの部分がゴムプランテーションになった。ラオスの豊富な天然資源が中国の望むままに開発され、供給されているわけだ。

国の富が中国に奪われていく中で、日常生活の場で、ラオス人に中国の豊かさと力を見せつけることも忘れない。そのひとつが07年8月1日開業したラオス初の大規模ショッピングモールだ。首都で華々しくオープンした大商業施設には300店舗がある。200はすでに中国人企業家が占め、残りがラオス人に割り当てられる予定だ。扱う製品の80%が中国産品で、同施設は前述のラオス・中国友好センターの一部となる。

ラオスの中国人町は、ボテンボーダー貿易センター、ノンドゥアン中国人町に続いて、これで三つ目だ。

ラオスの「中国語教育」
ラオス政府は認めないが、中国人町の住人はほぼ例外なく中国人だ。扱われる物品は中国製、売るのも買うのも中国人、その町のホテルで働くのも、宿泊するのも、およそ全て中国人。つまり、ラオス人に幾分かのスペースを割り当てると言っても、彼らは結局追い出され、中国人が席捲する。

一定の豊かさを与えることで、より多くを奪う中国。そのプロセスで、一般の国民は虐げられ、一部の要人たちが途轍もなく潤う仕組である。こうして中国政府は、ラオス政府中枢を搦め捕る。同時に、教育面からラオスの中国化も進めつつある。

中国語で教育する華文学校がラオスに設立されたのは1937年。2001年には高校までの一貫校となった。敷地5万7,000坪のキャンパスで、小、中、高の、間違いなくこの国のエリートとなる1,300名余が学ぶ。1980年以降、ここでは中国の教科書が使用され、中国の価値観が植えつけられている。

ラオス人研究者が訴えた。
「ラオス人は中国に完全に支配され、ラオス人であることを見失っています。中国政府は、ラオス政府の腐敗も愚かさも、中国の統治をスムーズに行うためには好都合だと考えています。ラオス政府の腐敗、秘密主義、独断専行に、心あるラオス人は憤っていますが、どのように抵抗すればよいのかわかりません」

日本も米国も欧州諸国も、援助に際して民主主義、人権、自由への配慮を条件とするが、中国共産党はそのようなことは関知しない。ダルフールで虐殺を続けるスーダン政府に援助を続け、石油資源を漁るのと、全く変わらない。

今年8月、ようやく、日本とラオスとの投資協定が発効した。これまで日本は、ラオスのインフラ整備など地味な分野にODAを与えてきたが、余程目配りしなければ、この中国優勢の流れは止まらないだろう。国内政治にばかり気を取られている余裕は、日本にはないのである。(週刊新潮)

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| 桜井よしこ | 16:04 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |







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コメント
少し前の掲載だったとは思いますが、遅まきながらも今日(2010.3.10)拝読、大変鋭い指摘だと感心しました。
実は小生事、昨年10月まで約15年間暮らしたラオス(ビエンチャン)から帰国したばかりです。15年にわたるラオス滞在中の主な仕事は、日本政府のラオス向け経済援助(ODA)に関わるものでした。日本にはまだまだなじみ薄いラオスですが、日本政府のラオス向け経済援助額はこれまで相当額にのぼり、ラオスにとって日本は最大の経済援助国でありました。このため、ラオス国民の対日感情は非常に良く、われわれ在留邦人にとってもラオスは大変暮らし易い国の一つと言えます。ところが、ここにきてそんな状況が、段々変わりつつあります。このきっかけは、記事中にも指摘されている「2009年12月に開催された東南アジア競技大会(Sea Ganes)の会場建設をめぐる話」でした。即ち、新設された同大会の競技場は中国の援助により(*表面的には民間投資だが、実質的には中国政府援助)建設されましたが、元々は、ラオス政府から日本政府に正式(公式)に建設要請(要請額:約35億円)されたものの日本政府はその要請に応じず、ラオス政府はやむなく要請先を中国に代えたといういわ付きの案件でした。(小生はこの案件を民間企業の立場から数年間推進しました。この案件をめぐるラオス政府の日本に対する要請から最終的に中国が建設するに至るまでにはさまざな経緯がありましたが、字数にも限りありその説明については別の機会に譲りたい。)この結果(余波)として、中国はビエンチャン市郊外におけるチャイナタウン開発計画をめぐり現地住民との土地権利争いを起こすなどの問題を引き起こしていますが、肝心なのはラオスにおいてこれまで培われきた「日本の
プレゼンス」が急降下しているという事実です。因みに、国連におけるラオスの投票行動にも変化が見られ、日本政府が上記競技場建設要請に応じなかったことを契機にラオス政府は日本提案案件に反対票を投じるなどこれまでとは真逆な対応をしており、同国における国益保護、確保および向上の観点からも厳しい現実となっています。そして、さらに問題なのは現地おける「日本の顔」というべき、日本大使、JICA事務所所長らがそのあたりの事情に全く疎く、なんらの打開策も講じられないということです。

| 橘 薫 | 2010/03/10 10:42 AM |
私も実際、ラオスやタイ、カンボジアを視察した際に中国の浸透のすさまじさを認識しました。とりわけラオス北部山岳地帯で見た中国の浸透は、現実として私の中で重く残っており、少なくない「侵略」的な側面や摩擦を見ました。
| 獨評立論 | 2010/02/09 3:13 PM |
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