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これからの戦争は非核局地戦争 志賀節
「パパ」といえば「お父さん」のことだが、カトリック教圏では「ロ−マ法王」を指す。そのロ−マ法王であるパウロ二世が、去る1月21日(1998年)キュ−バを訪れた。常用の軍服を脱ぎ捨てて、珍しや背広姿でカストロ国家評議会議長が空港に出迎えた模様は、広くテレビで報じられた。

「キュ−バは世界を、世界はキュ−バを、それぞれ受け入れるよう求める」というロ−マ法王のステ−トメントには感銘を受けた。世界に背を向けている国や地域は数少ないながらまだ幾つかあるが、キュ−バもその一つだったことに改めて気づいた。

1959年に革命が成立した頃のキュ−バでは、国民の90%がカトリック教徒だったが、社会主義政権のもとで激減していった。その後カストロ政権の定着と安定を見、1991年にソ連が崩壊するに及んで、翌92年、キュ−バ憲法には「宗教の自由」が盛り込まれ、96年、直接ロ−マに出向いたカストロ議長とロ−マ法王との間で和解が成立、それが今回の法王のキュ−バ訪問につながった。

キュ−バの首都ハバナが歓楽の都であったことはつとに知られる。酒池肉林、堕落の極にあったと伝えられる。その裏側にあるものは貧富の差の拡大、不正の横行、公平の無視、つまるところ為政者への不信感の膨張だった。それがキュ−バ革命を生み、チェ・ゲバラやカストロの登場を促し、二人を英雄に仕立てあげる温床となった。

キュ−バにおける権益を失った米国には、この国に対する未練があった。私の米国留学中の1961年にケネデイ政権が誕生、華々しいスタ−トを切ったが、その華々しさに目を奪われて見落としがちなこととして、キュ−バ侵攻を敢行して無残にも敗退、発足早々のケネデイ政権が大きくつまずいた事件がある。

理想の火を高く掲げて登場したケネデイ政権を、外国人ながら歓呼して迎えた私にとって、それは大きな衝撃だった。

それから一年後、ケネデイ大統領はまたしてもキュ−バ問題と直面しなければならなかった。いわゆる「キュ−バ危機」だ。

米国のU2型偵察機の航空写真で、キュ−バ国内にソ連の中距離ミサイル発基地が構築されつつあることが判明した。キュ−バから米国本土は当然、ミサイルの射程距離に入る。大陸間弾道弾のように射程距離が長く命中精度が低いのとは異なり、キュ−バからのミサイル攻撃は米国の死命を制するものになるはずだった。米国政府は愕然とし、国内は騒然となった。

「キュ−バにおけるミサイル発射基地の構築をやめ、直ちに撤去されたし」−これがケネデイ大統領のフルシチョフ首相に対する要求のすべてだった。これには但し書きがついた。「この要求が入れられない場合に米国は、キュ−バのミサイル発射基地破壊のための核攻撃を辞さない」

この報道を、当時留学中のスペインのマドリ−ドで、私は小さな安宿のテレビの前で何人かの宿泊客と共に見聞きした。この時は米国国内だけでなく、世界全体が騒然となった。米国の要求を飲まなければ、間違いなく核戦争になる。

ケネデイ大統領の発言によって、まさしく世界核戦争勃発前夜の様相を呈したのだった。しかし結局フルシチョフ首相が折れて、ソ連によるキュ−バからの基地撤去が始まって騒ぎは終熄、世界は平静を取り戻した。

この時の日本の防衛庁長官・志賀健次郎が、今は亡き私の父だった。さなぎだに印象的な事件であるうえに、そのような事情が加わって、私にとっては忘れられない事件となった。この「キュ−バ」危機こそが、第二次世界大戦後の世界を揺るがした最大の事件といって差しつかえないだろう。

それなのに当時の私は平静そのものだった。核戦争には絶対にならないと私は確信していたからだ。一方が核攻撃を加えれば、加えられた側も核による反撃に転じる。応酬の影響するところ世界全体、すなわち全人類を滅亡に追いやることになる。

どうして核全面戦争など起こり得よう。たとえ一方的に先制攻撃を加えたとしても、だからといって攻撃された側の総ての核兵器の壊滅は望むべくもない。核による報復攻撃は必至となる。それが全人類の絶滅につながる以上、どうして核全面戦争などあり得よう。

そのような考え方をしていたから、私はいたって平静だったのだ。ケネデイ大統領の恫喝ともいえる要求に、フルシチョフ首相が屈伏するであろうことは私の目に明らかだった。それが、フルシチョフの失脚とソ連の凋落につながるだろうという見通しも持っていた。核軍拡競争の中で、ソ連は米国を深追いしすぎたというのが私の見方だった。深追いがケネデイ大統領の開戦覚悟を誘い出し、その結果、ソ連の屈服を天下に晒すことになった。

私はかねてからそのような考え方をしていたから、核保有国が複数である限り、核全面戦争が起こらないという論者だった。核保有国の国政担当者の誤解とか判断ミスとかによって核全面戦争が起こるとする説もあるし、人間が過ちを犯す動物であることを念頭に置くならば、それも否定できないが、核兵器を廃絶することによって非核全面戦争の起こる可能性、つまり通常兵器による全面戦争の起こる可能性と比べるならば、危険性ははるかに少ない。

核全面戦争は人類の最後の一人すら存在を許さなくなるのに、非核全面戦争では人類の滅亡には至らないからだ。人類が打算の動物であることはいまさら触れるまでもあるまい。

核兵器を掌中に収めた人類にとって、これから予想される戦争は非核局地戦争にならざるをえまい。非核局地戦争の典型的な形態がゲリラ戦だ。

これだけ進んだ人類史の中で、戦争の形態だけが原初的なものに戻るのは不思議な現象でもあるが、自分の所属する領域内で闘う側が必ず最後に勝利するゲリラ戦の特質は、近くはベトナム、アフガニスタンの例を見ればよくわかる。

ゲリラ戦を系統だった戦法として位置づけたのは、毛沢東、ホ−チミンだったが、ゲリラ(guerrilla)がスペイン語であることからわかるように、ゲリラ戦の起源はスペインだったとされる。

スペイン語の戦争は(guerra)で、その語尾に縮小辞がついて「小戦争」となる。ゲリラがスペイン各地で戦われたのは、ナポレオンのフランス軍が侵攻、占領したさきざきだった。フランス軍に対するスペイン人の民族的抵抗の模様は、スペインの代表的な画家ゴヤの筆になるものによって見ることができる。

ナポレオンはロシアの冬将軍に敗れる前に、スペインでゲリラ戦に敗れていたのだという指摘もあるほどだ。スペインのゲリラ戦によって完膚なきまでにフランス軍は痛めつけられていたのだ。

この伝でいけば、ヒトラ−はモスクワの冬将軍に敗れる前に、フランスのレジスタンスや東欧のパルチザンにやられていたのだといえなくもない。

自己の所属する領域内で、自らの国と民族のために戦う戦いは必ず勝利する−動かしがたいこの事実が普遍的な承認を得るまでに、今後どれほどの年月を要しよう。

賢いようでその実、愚かな人間集団が、ゲリラ戦の餌食になる愚をなお繰り返すことがあるかもしれないが、ゲリラ戦に対する認識が深まれば、国家や民族間に戦争や紛争が起こらなくなるはずだ。その日の一日もはやい到来を私は熱望している。(1998年執筆)

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