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最初の対韓無償技術供与 hideおじさん
ーーー奥井清澄、明星食品の社長である。彼の真摯な思いが戦後初の韓国への無償技術供与に繋がったことを知る人は少ない。

時は1963年、当時未だ朝鮮戦争の傷跡が残る韓国では、深刻な食糧不足がおとずれていた。街では、残り物で作った韓国粥を求めて列を成す人が溢れていた。

ーーーその姿を見つめていた一人の男がいた。「全仲潤」である。韓国第一生命の社長である全は、腹をすかせて列を作る人々を見て、「安くて美味いものを食わせてやりたい」ーーーそう思った。

当時ふんだんにあるものといったら、国連が援助してくれた小麦だけだった。しかし、日本と同じくパン食になじんでいなかった韓国では、この小麦の有効利用が進んでいなかった。

そこに全は目をつけたのである。

「これで美味いものを作りたい」全は、保険会社の社長という座を捨て、三養食品を立ち上げ食品業界へ飛び込むこととなる。

そのとき彼の目に留まったのが、発明まもない日本のインスタントラーメンであった。ーーーすぐさま日本へ飛び、日清食品を初めラーメンメーカーへ技術提供を願い出たのである。

ところが、高度な技術であるインスタントラーメンの製造を、やすやすと教えてくれる会社などありはしなかった。

ーーーそして全が、最後に訪れたのが明星食品だった。

韓国の窮状を訴え、協力を願い出た全仲潤に、奥井はひと言、「日本は朝鮮戦争の特需で立ち直りました。その恩返しに協力しましょう」

社内からの轟々たる非難をよそに、奥井は格安で製造機器を渡し、技術者までつけて韓国に派遣したのである。ところが、麺の製造技術は提供したが、スープ作りはメーカーごとの秘密のレシピである為提供できなかった。全は試行錯誤するも、ことごとく失敗する――――。

思い余って奥井のもとへ向かうが、彼とて安易に社内秘を教えるわけにはいかない。

失意の中、韓国へ帰ろうとする全のところに、明星食品の技術者が駆け込んできた。

「社長からです」と言って渡されたのが一冊のノートである。

帰りの飛行機の中、そのノートを広げて全は驚いた。ラーメンの命というべきスープのレシピが、こと細かく記載されていたのだ。

全は思わずそのノートを胸に押し抱き、涙したという――――。

その後、インスタントラーメンは韓国の国民食のひとつとなり、屋台でも食べることができるが、そのラーメン一杯には、奥井と全、という二人の男の熱い思いが込められていたことを知る人は少ない――――。

戦前日本の朝鮮統治を、単に侵略、掠奪と言う者、はたまた掠奪するために太らせただけと断罪する日本人は多いが、朝鮮をこよなく愛していた日本人がいたことを知る日本人は少ない。

歴史の表舞台には出てこないが、多くの日本人と朝鮮人の交流の中で「歴史」が作られてきたことも、戦後世代の私たちが伝えていかなければならないことではないのだろうか。 

杜父魚ブログの全記事・索引リスト(7月7日現在2022本)
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