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蕎麦談義いろいろ 古沢襄
「霧下そば」というのは蕎麦通では珍重されている。妙高山の山麓は、照りつけたと思う間もなく霧が立ちこめる。日照が強く、霧がまく高冷地なので、そこで作った蕎麦が最高だという。

蕎麦通ではないが”蕎麦好き”の私は「霧下そば」と言われても最初はピンとこなかった。「戸隠そば」だよと言われて納得したものである。「開田そば」のことも指すという。

スーパーで売っている蕎麦のほとんどは国産蕎麦ではなく輸入蕎麦ではないか。あえて蕎麦通と言わないのは、輸入蕎麦であっても打ち方とタレ味が良ければ満足する蕎麦好きだからである。

横浜から茨城に移り住んで16年目を迎えたが、最初に探したのは江戸風の蕎麦屋。それが見つかるまで、わざわざ浅草に出て大黒屋の蕎麦を食べに行っていた。鬼怒川沿いに本店が柏市にある竹藪の支店を見つけた。

その支店が店を閉じたので、代わりに見つけた蕎麦屋に通っていたが、女房が守谷市役所の近くに「江戸そば一筋 そば処蕎山(きょうざん)」の店を見つけてきた。茨城のソバ汁は甘さがあって、濃口醤油の江戸のソバ汁と少し違う。

江戸そば一筋に釣られて、そば処蕎山に女房と行った。スコールのような豪雨が降った日のことである。ようやく江戸風の蕎麦屋を近場で見つけた感じがする。

蕎麦はもともと江戸の庶民の食べ物。いつ頃から持ち歩き屋台形式の蕎麦屋が始まったか定かでないが、店屋で蕎麦を売るようになったのは1700年代の後半だといわれている。しかし武家が蕎麦を食べた記録が見つからない。下賎の風習として上流階層が敬遠したという史料がある。(ウイキペデイア)

このことで面白い話を昨年亡くなった佐々木吉男氏から聞いたことがある。昭和11年(1936)の9月から10月にかけて北海道で陸軍の特別大演習があった。弘前の第八師団第三十一連隊の兵卒で参加した佐々木氏は衛生兵として大隊長の秩父宮少佐と行動をともにした。

皇弟らしくない庶民的で人情味ある上官だった秩父宮に惚れ込んだ佐々木衛生兵は、「北海道は蕎麦の産地であります」と報告した。言ってしまってから大演習なのに余計なことを言ったと身が縮まる思いをした。

大演習が終わって弘前師団に戻ったある日、秩父宮大隊長から佐々木兵卒が呼びだされている。恐るおそる出頭した佐々木兵卒に対して秩父宮少佐は「ソバとは何か!」と聞いてきた。北海道大演習の時のことを秩父宮少佐は覚えていた。

直立不動で「食べれば、分かるであります」と佐々木兵卒。秩父宮少佐は「ソバを食べる」と言って弘前市内に出たという。騎乗の秩父宮少佐を案内役の佐々木兵卒が追いかけた蕎麦話は愉快である。

昭和の御代になっても皇室では蕎麦は知られざる庶民の食べ物。ひょっとしたら秩父宮だけが皇族で蕎麦を食べた最初の人だったのかもしれない。

話ついでに、もう一つ。関西では兵庫県豊岡市出石町の「出石そば」が有名である。この発祥は江戸時代に蕎麦の本場であった信州上田藩の藩主仙石政明が、出石藩に国替えとなった際、大勢の蕎麦職人を連れて行ったという。

こちらの方は江戸のように蕎麦が下賎の風習として上流階層から敬遠されていない。藩主仙石政明が蕎麦を食べてみて、それを新任地の産業振興に役立てたのではなかろうか。

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コメント
そばの話で思い出すのは、昭和20年、敗戦まじかの御前会議で、昼飯はざるそばで、陛下は、幾杯もおかわりをしたという 特別に報告をもとめられて出席した陸軍将校の話、弟から教わって、陛下がそば好きになったのか な。
| 大橋 圭介 | 2008/07/24 2:43 PM |
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