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江戸時代からある直下型大地震 古沢襄
首都圏に住む者にとって「東京直下大地震」が気になる。南関東では関東大震災クラスの巨大地震が過去にも繰り返し起こっている。中国の四川大地震や岩手・宮城内陸地震などをみているとやはり心配になる。

江戸時代の地震記録は正確なものがないので、古文書などから読み取るしかない。しかし規模の大きさで有名なのは、安政二年(1855)十一月十一日に江戸を襲ったマグニチュード6・9の安政大地震。荒川河口が震源地とみられ、死者は一万人と推定されている。

安政大地震から六十八年後に関東大震災が起こった。大正十二年(1923)の関東大震災から今年は八十五年目、やはり危険水域に入ったとみておく方が正しいのではないか。

安政大地震のほかにも古文献では江戸周辺で地震の記録がある。

元和元年(1615)推定M6・5 江戸 死者多数
正保四年(1647)推定M6・5 武蔵・相模
慶安元年(1648)推定M7・0 相模・江戸
慶安二年(1649)推定M7・0 武蔵・下野・川越 死者多数
元禄十年(1697)推定M6・5 鎌倉・江戸・武蔵
安政二年(1855)推定M6・9 安政江戸大地震 死者一万

安政大地震の二百年前にはマグニチュード7・0クラスの大地震が文献で記述されている。被害地は武蔵・下野・川越などで死者多数。

明治維新以降でも首都圏で直下型の大地震が発生している。

明治二十七年(1894)M7・0 東京湾北部 死者三十一人
明治四十二年(1909)M6・7ー7・5 房総沖
大正十一年 (1922)M6・8 浦賀水道地震 死者二人
大正十二年 (1923)M7・9 関東大震災 震源は相模湾北西沖 死 者・行方不明者 : 14万2800人

首都圏の直下型大地震ではないが、平成七年一月十七日の阪神・淡路大震災は、都市直下型地震の恐ろしさをみせつけた。淡路島北部を震源として発生したM7・3の地震で神戸市の市街地は壊滅状態となった。死者6437人、立体化され過密化された大都市の被害の大きさは、関東大震災当時の常識を越えるものがあった。

あれから十三年、東京都はひと回り大きくなった。直下型大地震が発生すれば、組織力がある自衛隊の救助出動が必要となる。阪神・淡路大震災の時には神戸市の自衛隊アレルギーがいわれたが、生き埋めとなった被災者の救助は、最初の四十八時間の勝負となる。

震源地も安政大地震のように荒川河口とは限らない。むしろ過去の例でみると相模湾沖や武蔵、下野、鎌倉、川越など広範囲で大地震が発生している。どんな大地震がきても慌てずに避難する心構えが必要である。

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