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しめやかに十一人の合同追善供養 古沢襄
古沢元・真喜文学祭が六月七日に岩手県西和賀町沢内の玉泉寺で行われた。早いもので今年で第十一回となる。平成九年(一九九七)夏に盛岡市で「古沢元の再評価」と題した記念講演会が行われた。文芸評論家・吉見正信氏、田村俊子賞の受賞作家・一ノ瀬綾氏と私が講演をしたのだが、これがきっかけとなって古沢元・真喜という昭和の夫婦作家の文学碑を作る運動が始まった。

雪解けを待って翌年の五月三日に文学碑の除幕式が盛大に行われ、岩手日報、盛岡タイムス、岩手日々が写真入りで報じてくれた。あれから十年の歳月が去った。当初は文学祭の行事のひとつだった古沢元・真喜の追善供養が、文学碑の建立に関係した人たちが亡くなるにつれて、その人たちを含めた合同追善供養となった。毎年五月に行われてきたが、今年は都合で六月になった。

昨年は十人の追善供養をした後、文学碑の前で記念撮影をした。九十五歳の佐々木吉男さん(文学碑建立委員会委員長)の元気な姿が最前列の左端に椅子に座ってみえる。



その佐々木さんが秋に亡くなった。追善供養が十一人になった。午前中に全英大和尚はじめ三人の僧侶が読経する中で関係者がそれぞれの気持ちを抱いてお焼香。全英大和尚が読経の中で十一人の名を一つひとつ呼びあげてくれていた。

杉浦幸雄氏(漫画家)、森幹太氏(新劇俳優)、岸丈夫氏(漫画家)、高木幸雄氏(渡辺喜美行革相の叔父)の家族たちは、この追善供養が毎年続いていることを知るまい。それでいいと思っている。

人情が薄れいく昨今の世相の中で、十年以上も前の出会いを大切にして、奥羽山脈の古刹で毎年、関係者の追善供養が行われているなど、今時は珍しい話となる。地方に行くとこういう珍しい話がたまにある。日本も捨てたものじゃーない。

■古沢元(本名・古沢玉次郎)1946年没。武田麟太郎、高見順、田宮虎彦らと同時代に活躍した昭和作家。旧沢内村の出身。

       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B2%A2%E5%85%83

■古沢まき子(本名・古沢真喜)1982年没。古沢元の妻。女流作家・一ノ瀬綾が古沢真喜の伝記小説「幻の碧き湖」(筑摩書房・1992年)を発刊。文学碑には古沢真喜の「碧き湖」の詩が刻まれている。

幻の碧き湖を求めて
涯しない人の世の砂漠をさまよいし
わが旅路の漸く終りに近づきたるか
六十路の半ばもすぎたるに
われ湖にいまだ巡りあえず
されど
いつの日か
そを見ることのあらんかと
されど、ああ
あくがれの碧き湖は彼方

■佐々木吉男(文学碑建立委員会委員長)2007年没。「生命尊重」の旗印を掲げて奮闘した旧沢内村の深沢晟雄村長の女房役。深沢村長の没後も助役として二十年も在籍。新町小学校(現在の第一小学校)で古沢玉次郎と四年間机を並べた仲。

■杉浦幸雄(漫画家、古沢元の義弟)2004年没。文学碑の除幕式に際して旧沢内村を訪れた。文学祭に集まった人たちが杉浦氏を囲んで銀河高原ホテルで撮影した珍しい写真が残った。漫画家のすずき大和氏、故渡辺美智雄氏の実兄・嚆夫氏の姿もみえる。六年後に杉浦氏は亡くなった。



■岸丈夫(漫画家・古沢元の実弟)没年不祥。1933年横山隆一、近藤日出造、杉浦幸雄、中村篤九らと「新漫画派集団」をおこした。いずれも近代漫画の祖・岡本一平のお弟子さん。戦前は風刺漫画でマスコミ雑誌で活躍したが、戦後は筆をとらず家族にも告げずに姿を消した。漫画を描く前の油絵が玉泉寺資料館に保存されている。

■森幹太(新劇俳優)2000年没。1987年に深沢村長を主人公にした「燃える雪」を劇団銅鑼(代表・森幹太)がドラマ化。森幹太が演じた深沢村長が評判となり全国公演は三百回。文学碑の除幕式で古沢元の「杜父魚」、古沢真喜の「碧き湖」の詩を森幹太が朗読した。



■高木幸雄(旧姓・渡辺幸雄、那須高原温泉社長)2000年没。渡辺美智雄元副総理の従弟、渡辺喜美行革相の叔父に当たる。ミッチーに参院栃木地方区から出るように勧められたが断り、徒手空拳で北関東一の温泉開発業者になったのが自慢。沢内村を愛した一人だが、六十七歳の若さでこの世を去った。

■北島唾法糞貘内村会議長)2004年没。村会議長在任四十三年の記録保持者。増田前知事(現在の総務相)から「オヤジさん」と親しまれた。冬には二メートルを越す雪が積もり陸の孤島となる沢内村に、北と南、さらには花巻と結ぶ中央道を作ることに政治生命を賭けた。

■加藤昭男(旧沢内村長)2005年没。町村合併前の最後の村長。「深沢精神の継承」をスローガンにして、湯田町との合併交渉に臨んでいる。合併の直前に過労から六十七歳の若さで急死。文学碑の除幕式では司会・進行係を務めている。

■武田勝広(武田工務店社長)2004年没。文学碑の建立では雪が降る前に突貫工事をすることが必要だった。全英大和尚が福島まで出向いて碑石と礎石を選び、それを玉泉寺の庭園に運ぶのが大作業。武田社長が陣頭指揮で期日に間に合わせた。作業が終わった途端に雪がちらつき、やがて大雪になって文学碑は一冬眠ることになる。

■古沢昭二(弁護士)2000年没。古沢元が出征するに当たり「留守居覚え帳」を妻・まき子に残した。分家の項に「与吉 吾一 政右エ門 よし」、親戚「神山 伊勢正夫 菅原忠治 高橋はつ 刈田耕一 吉野金太郎 高橋初雄 古沢貞造」、母方親族「為田よね 為田大五郎 阿部憲政 平出英夫 小川昌五」とある。
昭二弁護士は古沢貞造氏の次男。東京に三人いる古沢姓の弁護士で麻生太郎氏の顧問弁護士をしていた。表面には立たなかったが文学碑の建立で応援を惜しまなかった。

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