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南機関とミャンマー 古沢襄
四川大地震の被害は大きいが、中国は被害状況をオープンにする変化をみせている。国際的な支援を求める一方で「四川を救おう」という愛国心に呼びかけ、胡錦濤体制の求心力を高める狙いがあるという。北京オリンピックも予定通り行うようだ。

その中国に比してミャンマーの軍事政権は国際的な支援に背を向けている。ミャンマーのサイクロン被害は実態が明らかでない。わずかに反政府系の海外テレビで救出から放置された悲惨な村々の状況がかいまみえるだけである。

鎖国ともいうべきミャンマーの軍事政権だが、日本は戦前、戦中からビルマ独立運動を支援してきている。日中戦争で重慶に立て籠もった蒋介石軍を支援するため、英米両国はビルマの”援蒋ルート”を作った。ビルマとは英国領だったミャンマーの旧称。

”援蒋ルート”は、海路で軍事物資をビルマのラングーン(現在のヤンゴン)に運び、北部のラシオからトラックで雲南省昆明まで輸送する軍事ルート。日本軍は山間部の道路を走るトラック部隊を目がけて、爆撃機を出動させて空爆作戦を行っているが、あまり効果があがっていない。

1941年にビルマ南機関という特務機関が作られた。その目的は英国領からの独立をはかるモンゴル系のビルマ族を支援し「ビルマ独立義勇軍」を建軍することにあった。南機関の機関長は鈴木敬司陸軍大佐。

当時のビルマの人口は1941年の国勢調査によれば1600万人。民族別ではモンゴル系といわれるビルマ族が1100万人、カレン族150万人、シャン族130万人、移住したインド人200万人という構成。

この民族構成を現在のミャンマー行政区画と比較してみると面白い。ミャンマーは七つの管区(タイン)と七つの州(ピーネー)に分かれる。管区は、主にビルマ族が多く居住する地域の行政区分。州は、ビルマ族以外の少数民族が多く居住する地域となっている。

カレン族はカレン州、シャン族はシャン州に固まっている。先住民であるカレン族は英国統治下ではビルマ族よりも優遇されたという。山岳民族だが今では民族独立運動で「カレン民族解放軍」「カレン民族同盟」で軍事政権と対立している。

英国の統治下では独立心が強いビルマ族は危険視されていたのであろう。1941年のビルマ軍総数6209名のうち、大部分はカレン族などの少数民族やインド出身のパンジャブ族が占め、ビルマ族の軍人は159名に過ぎないというデータがある。(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ビルマ独立運動は1930年代から始まっているが、ラングーン大学の学生が主体で、この中からタキン・オンサン(アウンサン)やウ・ヌーらが出ている。援蒋ルートの爆撃が効果をあげない実情から、日本の参謀本部はこの独立運動に目をつけて、積極的な支援をすることになった。参謀本部付元船舶課長の鈴木大佐が、その任に当たる。

偽名を使ってラングーンに潜入した鈴木大佐は帰国して大本営直属の特務機関「南機関」を立ち上げ、バンコクに拠点を置いている。そのうえで独立運動派を密出国させて海南島などで軍事教練を施して武装蜂起の準備をさせた。蜂起の時期は1941年夏。

しかし日本は対米英開戦に動きだした。ビルマ武装蜂起よりも「ビルマ独立義勇軍」の設立が参謀本部の方針となり、鈴木大佐は義勇軍の司令官となる。ビルマ人の募兵も開始された。この義勇軍がミャンマー軍事政権の源流となっている。

日米開戦後、ビルマから英印軍を駆逐した第33師団はラングーンに入城したが、すでに一万の兵力となっていた「ビルマ独立義勇軍」も続いて入城、ラングーン市民の熱狂的な歓迎を受けている。

1943年に独立したビルマは、バー・モウ首班の下でアウンサンが国防大臣、ビルマ国軍の司令官にはネ・ウィンが任命された。しかし日本の敗色が濃くなるにつれて、アウンサンらが離反、ビルマ全土で蜂起している。日本の統治下で果たした独立も連合軍の下で白紙に戻った。1947年にアウンサンが暗殺。

1948年になってビルマはウ・ヌー首班の下で独立。しかし1962年にビルマ国軍はクーデターを決行して、ネ・ウィン司令官が大統領に就任した。ネ・ウィン軍事政権は「ビルマ式社会主義」を唱えて、議会制民主主義を否定している。ネ・ウィンと南機関との関係は緊密で、2002年に死去するまで続いている。

非暴力民主化運動指導者、1991年ノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチー女史は、アウンサン将軍の娘だが、軍事政権と対立して幽閉状態に置かれている。

ビルマ族だがインドのデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学び、英国のオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学の学士号を取得。ロンドン大学の東洋アフリカ研究所(SOAS)で研究助手を務め、ニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となるなど華麗な経歴で知られる。西欧化されたビルマ族といってよいだろう。

南機関の中にはスーチー女史の父・アウンサン将軍が英印連合軍と呼応して軍事蜂起したことを快く思わない人もいる。ネ・ウィン人気ほどアウンサン人気がない。軍事蜂起の頃から英国の諜報機関と密接な関係ができたという説が軍事政権の内部にも囁かれている。

スーチー女史の後押しをして民主化要求を前面に出すかぎり、軍事政権は欧米の支援を拒絶するだろう。EUはようやくそのことに気がついた。民主化要求はタナ上げにしてサイクロン被害の支援を働きかけるという。現状では最善の判断だと思う。

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