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「従軍記者」事始(3) 平井修一
日本陸軍に従軍した最初の外国人記者、ハーバート・ジョージ・ポンティング。米国の雑誌の特派員という名目で第一師団に従軍した彼は「この世の楽園・日本」と題する、小生も恥ずかしくなるほどの“日本最高、大好き!”という日本礼賛の著書を残しており、その中で重要な取材をしている。

ポンティングはこう書いている。

<あるとき奉天で陸軍大将・児玉源太郎男爵に敬意を表しに行ったが・・・彼はすぐに私を自分の官舎に招きいれ・・・「ほら、君はあれをどう思いますか?」と日本語で言った。見るとそこには近代的な装いをした日本の少女を描いた大きな掛け物が掛かっていて、それはほとんど等身大であった。・・・「ご覧のように、ここでこんな美人を見ているのでちっとも寂しくありませんよ。別嬪さんですねえ」。そして前よりももっと楽しそうに笑った>

児玉大将の部屋のテーブルの上を見てポンティングは感動する。

<私が今まで見た中でも最高に美しい人形が飾ってあった。約十二インチ(30センチ)の高さで、驚くほど真に迫って見えた。優美な藤色の着物を着て、豪華な金色の刺繍を施した帯を締め、宝石に入った可愛い帯留めから、髪にさした簪(かんざし)に至るまで、日本の婦人が身につける服飾のすべてが細心の注意をもって製作されていた。それはまさに完全な縮小化された日本婦人で、最高の芸術品であった。

「これは私のお守りです。だからどこへ行くときでも一緒です。今までにもずいぶんと幸運を授けてくれました」と日本陸軍の頭脳として知られているこの偉大な将軍は言った。これは児玉大将が祖国の婦人に寄せる賛辞であった。

彼の言葉を聞いたとき、現代史の上で最大の偉人の一人であるこの勇敢な将軍の心中の一端を知るという大きな特権に恵まれたことに感激した>

人形や壁に掛けられた絵は、母であり、妻であり、家族であり、そして祖国を象徴していたのだろう。苦しい戦いの中で「なんのためなのか」という思いがよぎったとき、将軍は人形を見つめながら「母のため、妻のため、家族のため、そして祖国のため」と思いを新たにしたに違いない。

その数日後、ポンティングは幕領昼食会の席で第一師団司令官の黒木為蓮覆燭瓩發函卜Ψ蛎臂の隣に坐った。維新の前夜、英国艦隊と薩摩軍は鹿児島湾で交戦したが、黒木大将は18歳で参戦していた。この話題で盛り上がった後、彼らは「日本の兵隊の勝れた資質、すなわち困難を気にせず、忍耐強く、勇敢で、立派な成果を挙げた素質について討論を行った」。

ポンティングは黒木大将の言葉をしっかりと記録している。

<日本の兵隊の挙げた業績について話すときに忘れてはいけないのは、これらの行為を成し遂げたのは決して日本の男子だけではないということです。もし我が国の兵隊がその母親から、義務と名誉のためにはすべてを犠牲にしなければならないという武士道の教育を受けなかったら、今日の成果を挙げることができなかったでしょう。日本の婦人は非常に優しく、おとなしく、そして謙虚で、これからも常にそうあってほしいものだと思います。また、それと同時に大変勇敢でもあり、我が国の兵隊の勇気は、大部分、小さいときにその母親から受けた教育の賜物です。一国の歴史の上で婦人の果たす役割は大きく、どこの国でも、もし婦人たちが何にもまして勇敢で優しく謙虚でなければ、真に偉大な国民とは言えません。兵隊と同様に、日本の婦人は国に大きな貢献をしているのです>

児玉大将、黒木大将の二人が期せずして日本の母を賛美した。母は強し、である。(つづく)

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