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金賢姫の動静は不明 渡部亮次郎
2007年に アメリカに向けて、亡命のために出国したとの情報が流れるも現在、大韓民国政府並びに韓国のアメリカ大使館はこの情報を否定。しかしその後の動静は不明である。

大韓航空機爆破事件の金賢姫死刑囚の特別赦免を韓国政府が決定したのが今から16年前の1990年の昨日4月12日であった。

大韓航空機爆破事件は、1987年11月29日、イラク・バグダッドから、アラブ首長国連邦アブダビ、タイ・バンコク経由、韓国・ソウル行きの大韓航空858便・ボーイング707型機が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員によって飛行中に爆破された航空テロ事件である。乗客・乗員115人が犠牲となった。

乗客の殆どは中東から帰国する出稼ぎ韓国人男性。事件直後、バグダッドで搭乗して経由地のアブダビ空港で降機した不審な男女2名がいた。

この2名は日本の旅券を持っており、30日午後にバーレーンにガルフ航空機で移動し、同国のマナマのホテルに宿泊していた。

韓国当局もこの「日本国旅券」を持つ2人の男女が事件に関与したと疑っていたため、当地の韓国大使館代理大使が、その日の夜に接触した。

これは事件の直前に日本赤軍の丸岡修が日本の東京で逮捕されたが、丸岡が翌年に迫ったソウルオリンピックを妨害工作するためにソウル行きを計画していたことが明らかになっており、日本赤軍が本拠地とする中東が舞台であることから、事件の関与が疑われていた。

そのため韓国当局は早い時点で2人をマークしていた。また日本政府当局は「日本人による反韓テロ事件」を懸念していた。

この2名はバーレーンの空港でローマ行きの飛行機に乗り換えようとしていた為、日本大使館員がバーレーンの警察官とともに駆け付け、その場で旅券を確認したところ、偽造であると判明した。

日本大使館には身柄拘束権が無かったため、同国の入管管理局に通報し、警察官に引き渡した。空港内で事情聴取しようとした時、男は煙草を吸うふりをして、その場であらかじめ用意していたカプセル入り薬物で服毒自殺した。同伴の女も自殺を図ったが一命を取りとめた。

バーレーン警察による取り調べが行われた後、女の身柄は12月15日に韓国へ引き渡された。その時彼女は自殺防止用のマスクを被せられていた。

ソウルの国家安全企画部で尋問が行なわれたが、女は当初日本人になりすまし、ついで黒龍江省出身の中国人「百華恵」であると供述、容疑を否認し続けた。

しかし、取調員からの「普段愛用している服のブランドは?」という質問に、韓国のブランド名を答えてしまった事から日本人でない事がばれ、この事をきっかけに一連の航空機爆破の犯行を認め、北朝鮮工作員の金賢姫(??? キム・ヒョンヒ)であることが判明した。

なお金賢姫の供述によれば、爆発物は時限装置付きのプラスチック爆弾が入った携帯ラジオと液体爆弾が入った酒ビンであるとされた。爆弾は2人の座っていた機体前方の7A,7B近くのラックの中に入れており、爆発物は彼女がバックの中に入れて機内に持ち込んだと供述した。

金賢姫(キム・ヒョンヒ、1962年1月27日―)は、現在46歳。

大韓航空機爆破事件を実行する為「李恩恵」と呼ばれる女性から1981年7月―1983年3月まで東北里2階3号招待所で日本語教育(日本から拉致された田口八重子とみられている)を受け、「蜂谷真由美(はちや まゆみ)」という名の日本人になりすました。

事件の折り現地バーレーンの警察に捕まる直前、「蜂谷 真一(はちや しんいち)」と言う名の日本人になりすましていた共犯の金勝一(キム・スンイル)と共に、煙草を吸うふりをして服毒自殺を図る。

が、金賢姫だけは一命を取りとめた(金賢姫は全く毒物を服用していないと言う意見もある)。

その後、韓国国家安全企画部(国家情報院)に引き渡され尋問される際も中国語や日本語で返答していたが、隠し切れずに自白した。自白後、聖書を通してイエス・キリストを知り、ソウルのヨイドにある中央浸礼教会で受浸、クリスチャンになった。

日本語が堪能。北朝鮮で李恩恵と一緒に暮らし、日本の文化や習慣、料理などを習得した。ちなみに、好きな歌手は山口百恵で、日本の民謡だけでなく山口百恵の曲も多く歌える。

父 ― 金元錫。
母 ― 林名植。開城出身(朝鮮戦争前は韓国領)のため隠していた。
妹 ― 賢玉。結婚していたが、夫は心臓麻痺で死亡。
弟 ― 賢洙。
弟 ― 範洙。15歳で皮膚癌で死亡している。

1962年1月27日 外交官キューバ駐在の北朝鮮大使館3等書記官の父と教師の母との長女として生まれ、生後間もなく父の赴任先であるキューバへ。4歳の時に北朝鮮の首都平壌に帰国。

1989年、死刑判決が確定したが、翌1990年 韓国政府によって特赦される。それが4月12日だったのだ。この特赦は政治的配慮からで、北朝鮮当局からの強い要請によるものとされているが未確認。

特赦後、外交官であった実父を含む家族が強制収容所に収容されたことを知らされる。

1997年、日本テレビのスペシャル番組「あの人は今!?」に出演。その際、市川森一にコロッケなどをご馳走した。

1997年、ボディーガードであった元国家安全企画部員の男性と結婚した。その後名前を変え、男児を出産し、ソウル市内で普通の主婦として暮らしていた。

2005年、国家情報院が事件の再捜査を決定。証人として金賢姫が証言する事になった。

しかし、2007年、アメリカに向けて、亡命のために出国したとの情報が流れたが、現在、大韓民国政府並びに韓国のアメリカ大使館はこの情報を否定。とはいえ その後の動静は不明である。

後になって、そもそも大韓航空機爆破事件が韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が仕組んだ謀略ではないのかという疑惑が浮上。

これについて2005年2月、国家情報院の「過去事件の真実究明をとおした発展委員会」が事件の再捜査を決定。だが、現時点では金賢姫本人の証言の見通しは立っておらず、実現の可能性は皆無と言う見解である。

事件直後に東ヨーロッパや中東における、金賢姫と金勝一の足跡を丹念に追った日本人ジャーナリスト野田峯雄は、バーレーンの病院で担当医師から証言を得た。

それは「金勝一は瀕死の状態だったが、金賢姫には何の異常も見られなかった」というものだった。ここから金賢姫は本当に北朝鮮の工作員なのかと問いかけた『破壊工作―大韓航空機爆破事件、葬られたスパイたちの肖像』(JICC出版局)を1990年に発表している。

さらにこのノンフィクションを参考にして韓国の作家が2003年、事件は韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が仕組んだ謀略ではないのかという疑問を呈した小説『背後』を発表、韓国でベストセラーとなった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008・04・11

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