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生け花が結ぶ日ロ文化交流 古沢襄
共同通信社の国際通年企画「日本遠望」にモスクワに根を下ろした「池坊」の生け花の話がでてくる。題して「伝え続ける”花との対話” 激動の時代に求めた癒やし 伝統と変革、次世代に託す」・・・。

「激動の時代に求めた癒やし」は、ソ連崩壊から混乱の新生ロシアの時期に喪失感と生活苦にあえぐ中でモスクワの若き女性たちが、日本の生け花の世界に癒やしを求めたことが描かれている。生け花の師匠は山田みどりさん。私の古い友人、弟子のロシア女性たちはみどりさんを「センセイ」と呼んでなついている。



「伝統と変革、次世代に託す」は、七十二歳になったみどりさんの決断が描かれた。モスクワで始めた生け花教室は、花が好きなロシアの国民性にマッチして約三百人の弟子、孫弟子ができた。モスクワだけでなく遠くウクライナのキエフにまで支部ができている。だが、ほとんどが私財を投げうったみどりさんの奉仕。貧しいロシア女性に暖かい目を注いできた。

気がついたらロシア在住が十七年になった。弟子のガリーナにすべてを託しても、モスクワに根づいた「池坊」の生け花は枯れることはない。後進に道を譲って、そろそろ帰国して余生を日本で送ろうと考えている。昨年、そんな気持ちを伝えてきた。お互いに古希を超えた身。そろそろ終着点のこと考える時期に入った。

「二〇一〇年にCIS支部は二十周年を迎えます。記念の花展を催し、私は日本に帰ります。新しい支部長は、このガリーナに託したいと思います」と京都の家元四十五世・池坊専永には伝えてある。

女性の身で単身モスクワの自動車工業大学に留学し、一時はロシア科学技術アカデミーの営業部長だった頃もある。海外で活躍する日本人女性として、朝日新聞の紙面で紹介された。六十八歳の時に、日ロ文化交流で功績があったとして町村外務大臣表彰を受けた。杜父魚ブログにも「モスクワだより」を度々寄稿して頂いた。

男でも真似ができないみどりさんの”孤軍奮闘劇”もようやく終章を迎える。心から敬意を払い「ご苦労様でした」と申し上げる。でも頑張り屋さんのことだ。帰国しても草の根の日ロ文化交流でシコシコ働くつもりでいるのではないか。だとすれば共同記事は、素晴らしい贈り物になる。私の後輩たちも良い仕事をしてくれた。

<生け花の「池坊」は年頭の「初生け式」で始動する。ことしも約千四百人の華道家が全国から京都市の池坊会館に集まった。「花の表情がいい」「さわやかですね」。恒例の「ご巡視」で家元四十五世、池坊専永(いけのぼう・せんえい)(74)が立ち並ぶ出品者に声を掛ける。約四百の支部、約三百万人から選りすぐりの者に許される名誉だ。

山田みどり(72)も、この巨大なピラミッドの一角を担い鎌倉に多くの弟子がいた。安定した生活だったが五十歳台半ばで、ふと変化を求めた。半年の語学留学で単身モスクワへ。ソ連最後の年となった一九九一年の一月。真冬に迎えのバスの窓ガラスがなかった。

「言葉を学びながら生け花を教えるうちに、熱心さに打たれたのです。日本には私の代わりがいるが、この国にはいない、と」。鎌倉の家を売り未練を断った。ソ連に定住する生け花師範は、それまで誰もいなかった。

激動の年だった。ゴルバチョフ大統領を軟禁したクーデター事件を引き金に超大国は崩壊し、社会や経済は大混乱に陥った。喪失感と生活苦にあえぐ人々は、花の魂を見つめるような生け花の世界に癒やしを求めた。

山田の心にも小さなかげりがあった。「池坊の門弟は支部という組織に属します。その中で自分に限界を感じたことが、ロシアに来た理由の一つかもしれません」

私財を投じてモスクワに部屋を買い「けいこ場」を設けた。教授料は事実上、無料だった。愛好者は増え続け、今では孫弟子も含め約三百人が池坊の「独立国家共同体(CIS)支部」を構成する。ウクライナなどにも生け花が定着した。

▽小宇宙を表現
ロシアでの一人暮らしもことしで十七年。冬の朝、モスクワ郊外の雪原を行く山田の姿があった。足をとられる師匠を、両脇から弟子のレーナとタチヤーナが支える。松の枝を探しに来たのだ。



日本では師匠が課題に応じ花を決め、店に注文する。花の種類が少ないロシアでは、素材を野に求めることが多い。苦労して集めた草木は水に浸けておいて何回も使う。つぼみが膨らみ花が咲く。

山田の自宅には週二回、直弟子たちが集まる。「自由花」「生花」「立花」と段階的に進む池坊いけばなで、「立花」の「お許し」を得た者が中心だ。山田を日本語で「センセイ」と呼ぶ。それぞれプロとして内弟子をもつ。

花ばさみの乾いた音が響く。日差しに応じ草花の「陰」と「陽」を見極める。三種類の「役枝」を組み合わせ「人、空、地」の小宇宙を表現する。植物が生から死へ向かう時間も流れている。

十五年前「哲学性に引かれた」タチヤーナは「いけばなのおかげで、つらい時を乗り越えた」と言う。花を「束」にするのではなく「余計なものを捨てる世界」にのめり込んだ。

ひげのアレクセイは「規則を守り、さらに発展させる面白さがある」と言う。葉の傾きが気に入らず何回も直している。 ロシア人は花好きだ。お客に行くにも花、誕生日や新学期も花、墓地は花が絶えない。それは人と人をつなぐ花だ。けいこ場の静寂は、生け花が人と花の対話であることを教えてくれる。「作品に人柄が映る」と山田。花は人でもある。

▽重大な決断
山田には一つ残念な思い出がある。ある都市で起きた弟子同士の分裂騒ぎ。有料の免状をめぐる意見の違いがこじれた。いつか日本で見た人間模様だった。

家元華道のしきたりでは、師匠が弟子への免状を家元に申請し、弟子は段階を踏んで高みを目指す。奥義へのあこがれが世襲家元の神秘性と求心力を保ち、免状授与などの収入が五百年の伝統を経済的に支える。だが、権力と富は時に緊張と対立も生んできた。

昨年十一月、山田は弟子のガリーナらと京都に家元を訪ねた。専永は異国の門弟たちを温かく迎えた。専永は〇三年にクレムリンで初のデモンストレーションをしている。海外普及に熱心で、伝統に根ざしつつも時代に合う「新風体」を考案した。華道界の本流も変革の時にある。

山田は重大な話を切り出した。「二〇一〇年にCIS支部は二十周年を迎えます。記念の花展を催し、私は日本に帰ります。新しい支部長は、このガリーナに託したいと思います」

ロシアに骨を埋めるつもりだった。だが自分がいなくても残る組織でなければ、育てた意味がない。当面は支部長から顧問になって自立を助け、記念花展を花道にするつもりだ。家元も花展参加を検討する、と決断を受け止めた。

山田のけいこ場では昼食が始まった。弟子がつくったピロシキとおにぎり。草木と紅茶の香り。和洋折衷の食卓に会話がはずむ。温かさと規律、そして矛盾と欲望をはらむ日本の「家」。そこに咲く花の意味を伝えたいのかもしれない。あと三年をロシアで生きる。亡き父が水彩で描いた祖国の風景が壁に掛けてある。

(一口メモ)
◎池坊 聖徳太子の建立と伝える京都の六角堂頂法寺は、池のほとりの僧坊が池坊と呼ばれた。そこから代々、名手が出て生け花の正統の地位を占めた。

室町時代の池坊専応が、美しい花だけではなく、枝や葉との自然な調和に精神的な悟りを目指す華道の理念を確立した。神や仏に供えた生け花は、江戸時代に町民にも普及、現代に至る広いすそ野を築いた。

現家元、専永の夫人は文部科学副大臣の池坊保子衆議院議員。長女の由紀が女性として初の次期家元に決まっている。(文中敬称略)

◎山田みどり「ロシアありのまま」(1994年 ほんの木刊)>

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