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重慶で何が変わったか? 宮崎正弘
サッカー東アジア選手権、日本が勝った舞台は重慶。その重慶に薄き来(前商務大臣、政治局員)が赴任して何が変わったか?

▲重慶特別市の市長は知日派
サッカーというのは「鞠けり遊び」、まるで興味がないのだが、重慶の試合だけは興味があった。四年前の済南から北京へといたる反日暴動はサッカーが原因で、しかも日本が勝ったから。

重慶でも日本が勝つことは明らかだったらしいが、そうなれば、大暴動になる危険性があった。

やはり君が代斉唱のときからブーイング、ついには日本国旗が焼かれた。しかし、警備が厳重で、それ以上の騒ぎにはならなかった。

何故か?重慶市書記が薄き来という、中国きっての知日派だからという要素も考慮しなければならないだろう。

薄一波は長征に参加した革命元勲。元副首相。その息子が薄き来で、次代のホープとして大連市長、遼寧省省長、商工大臣を閲し、昨秋は悲願の政治局員に出世し、かつ治世の難しい重慶特別市の書記として赴任した。
 
前の重慶市書記は王洋で、かれも次代のホープ、今度は広東へ赴任し、現地で散々いじめられていることは既報した。

重慶といえば、第一に蒋介石次代の臨時首都。蒋支援ルートはビルマを越えてフライング・タイガーがここまで支援物資を運んだ。従って重化学工業が多い。それも付近で天然ガスが吹き出すからだ。

第二に四川省から「独立」した特別市だが、人口が三千万。四川省を加えると人口が一億人を突破する超蜜な地域である。

といっても人口分布は市内に三割、ほかは大足など郡部に散らばる。山と渓谷の地域で少数民族も山岳部に多い。貧困の代表選手でもある。

第三は、中央が特別に中西部開発の目玉を重慶開発において435億ドルもの予算を注ぎ込み、三峡ダム開発で立ち退きの農民を市内に収容したほか、多くのビル、道路に充ててきた。景観は「宇宙都市」である。

▲宇宙空間のような新型都市
昨年、筆者は久しぶりに重慶に赴いたので、次の紀行文を書いた。
 
「重慶の驚くべき変貌」(再録)
「重慶と聞くと、中国人の平均的反応は「交通渋滞で中国一」、「それから交通事故死も一番多い」。

次ぎに「坂の多い街」、「三峡ダムに近く三峡クルーズの出発点(もしくは終点)」という答えが返ってくる。

重慶は中央政府から435億ドルという天文学的予算が配分され、急激に貧困から富裕都市へ変貌を遂げつつある。

暴動対策のための雇用および西部開発の象徴として重慶の発展を宣伝する目的があり、重慶市書記の王洋は胡錦濤直系の出世頭のひとりでもある。

米国でも珍しい三層の高速道路インターチェンジもこの五月に完成した。

なにしろ重慶は嘗て蒋介石の重慶政府が置かれたうえ、第二次大戦直後から延々と続けられた毛沢東との国共停戦協議の場所でもあり、市内各所には”革命神話”にまつわる歴史的建物、記念館もやまのようにある。

筆者には三峡クルーズより、そちらのほうに興味がある。

ちょっと列記しただけでも「紅岩革命記念館」「八路軍弁事処大楼」「中共代表団旧址」「白公館」「抗戦記念教育博物館」「郭末若旧居」「劉伯承記念館」「陳独秀旧居」「重慶黄山抗戦遺址博物館」と枚挙に暇なく、近郊には朝鮮戦争で戦死した「英雄」だとして、戦意高揚のプロパガンダ館=「丘少雲烈士記念館」もおったてられている。バスで二時間もかかるので、日本人で後者を訪れる人はまずいない。

市内のど真ん中には欧米が投資した一流ホテルが並んでいる。

夜ともなるとケバケバしいネオンが輝き、ショッピング街は不夜城の如し、繁華街を歩くとポン引きと見られる怪しげな按摩の勧誘が引きも切らない。裏町は屋台街、そのうちの一軒で火鍋を食べたが唐辛子が山のように釜に投げ込まれ、これに強い高梁酒を飲むと、胃袋が錐のように痛んだ。

皇城のような巨大な伽藍は公会堂(市民ホール)で音楽会なども開かれる。広場を挟んだ対面に新装開店のガラス張りが「三峡ダム記念館」だ。

三峡クルーズに来る人は最初にこの記念館を見学し、長江の流れを期待するが、すぐ隣りに残る蒋介石政府の政府ビル址には目もくれない。

数年前まで中央広場には「棒々軍」という荷物担ぎがイナゴの大群のようにいた(重慶は坂が多いので自転車がすくないため)。急速な経済発展で、いまや棒々軍を見つけるのが難しい。

市内の至る所が工事中で、モノレールも通っている。長江と嘉隆江が交わるため大橋も三本、四本と架けられた。まるで未来の宇宙都市のようで、歴史的遺物はビルの谷間に隠れてしまった。

さて紅岩革命歴史博物館だが、これも新築で市政府の管理。胡錦濤も最近、ここを見学した。裏手に拡がるのが広大な紅岩農園で、共産党が抗戦の拠点に使った豪邸址が並ぶ。周恩来の銅像や無線室、毛沢東の図書室などが陳列されて「愛国教育基地」となっている。かくて重慶では見学すべき箇所があまりに多く、筆者は二泊だけだったので、半分も見ることができず、再訪の必要を感じた」(『共同ウィークリー』昨年の夏頃)

▲しかし楽天的予測は禁物である
さて、薄き来がやってきて、重慶市民の「夢」が膨らんだとロイターの記者がルポを書いている(ヘラルドトリビューン、2月21日つけ)。

「この男は大連をあれほど発展させ、しかも次期共産党大会では重慶の実績を背景に、政治局常務委員への会談を上ろうとしているだけに、前任者とは違うことをやるだろう」。

とはいえ、そうした楽天的観測はどうだろう?

大連は地理的に日本に近く、また満州時代からの因縁も深く、日本語が通じる。貿易のインフラにしても、日本時代からの基礎があった。巨大な港湾施設は日本がつくったし、都市も日本が大半を建設したのである。親しみもあり大連は日本企業が進出しやすい。 
 
一方で薄が赴任した重慶は沿岸から遙かに遠く上海から1600キロの離れた内陸部。山の中。日本ばかりか、どんな外国企業も二の足を踏むだろう。

薄き来のパワーがたとえ前回になっても大連なみの発展に至るのは苦しいのではないか。(注 博き来の「き」は「臣巳」の下に四点、王洋の「王」はさんずい)

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| 宮崎正弘 | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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