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日米平和・文化交流協会と私 渡部亮次郎
外相秘書官を退官して暫くしてから世話して下さる方があって社団法人日米文化振興会の理事長に就任した。外務省管轄の公益法人ではあったが、それは偶然の一致であって、いわゆる天下りではなかった。1984年夏のこと。退任が2001年12月だから都合17年間に及んだわけだ。

退任は急だった。実はスポンサー企業から「辞めてくれ」との話だった。急な話ではあったが、どうも経営悪化が噂されていたからすんなり辞めた。文化振興会の運営は元の専務理事の手に移ったようだったが、彼も退陣して、文化振興会は宙に浮いたようになった。困った元のスポンサー企業が次に持ち込んだのが国会に呼ばれて話題になった秋山直紀氏のところである。私の時代に理事をしてくれていた人物である。

しかし秋山氏としては運営資金の捻出手段は皆無だったので、事業目的を単なる文化交流から日米間の安全保障関係の交流に移すと同時に運営資金を防衛関係業界から募る事を計画し、まず団体の名称と定款の変更、理事の総入れ替えに取り掛かったようだ。

これに対して外務省は名称変更からして抵抗し、かなり長い折衝が続いたようだ。しかし結局、秋山氏の政治力が優り、名称を日米平和・文化交流協会という妥協的な名称にすることで落ち着いたようだ。「安全保障」が「平和」で落着いたわけだ。

秋山氏とは彼が高名な政治評論家戸川猪佐武氏(読売出身)の秘書として外務省に出入りするようになって初めて知り合いになった。

聞けば父上は法務省高官だったが、昭和25年、朝鮮動乱を機にマッカーサー元帥から命令で政府が自衛隊の前身警察予備隊を編成する際、法務省から出向して尽力された。秋山氏が高校生のころから日本の安全保障問題に高い関心を寄せるようになったのは当然だったろう。

戸川氏が田中角栄氏と格別に親しくしていた事もあって秋山氏は自然、田中派の政治家を多く知るようになったのもまた自然である。

一方、田中派は何時の内閣でも一貫して防衛庁長官ポストを手中にしてきた。日米安全保障問題に若い頃から強い関心を寄せて研究を続けてきた秋山氏にとっては実に好都合な展開であったろう。

私との関係は仕事を離れてもたまに食事を共にする程度に過ぎないが20代から「安保屋をやって来たのだから防衛関係のフィクサーを目指したらどうだ」と励ましてきた。

実際、日本の安全保障問題を純粋な立場で研究する民間団体は皆無である。ヘリテージ財団のような裕福な民間団体を成立させている米国の状態を見るにつけ恥しく思っている。

秋山氏の真情を考えれば、秋山氏の行動を初めに利権ありきと断定して興味本位にあおり立ててきたわが国マスコミのやり方は見るに堪えない。秋山氏が1月に入って、まず最初に秋山氏を「疑惑」と断定して報道した朝日新聞社を名誉毀損などで東京地検に提訴したのは当然である。

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