<< 小沢的なものと小泉的なもの 古沢襄 | main | 額賀財務相の説明責任 古沢襄 >>
「拉孟(ラモウ)に散った花」 平井修一
桜林美佐さんという方を知ったのは靖国神社の会報「やすくに」平成19年8月号を見てからである。1970年生まれだからお若い、<現在はキャスターとして、また放送作家として活動する一方、国のために戦う人々の姿を描いた、自作の創作朗読ライブ「ひとり語りの会」を展開中>と彼女のサイトにある。

「ひとり語りの会」はDVDにもしており、最新作は「拉孟(ラモウ)に散った花」である。

桜林さんの許可を得たので、以下、「やすくに」8月号「耳を澄ませば聞こえる彼方からの声」から後半部分を転載する。

<最新作は「拉孟に散った花」。これは中国の雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近「拉孟」で、5万人もの敵兵を相手に、僅か1300名の将兵で100日余りも戦い、玉砕した「拉孟守備隊」の戦記であるとともに、「慰安婦」の物語でもある。

・・・玉砕した守備隊には20名の「慰安婦」も含まれていたのであった。

この地が激戦となる前に、彼女たちを脱出させようと苦慮した守備隊長・金子恵次郎に、「私たちは拉孟守備隊の母であり、妻である」として脱出を拒んだ彼女たちは、守備隊の一員として戦い、5人の朝鮮人慰安婦だけを逃し、全員が拉孟の花と散ったと言われている。

玉砕の地がいずれもそうであったように「拉孟」での戦いも壮絶であった。

武器のない守備隊に対し、有り余る攻撃力を駆使し、押し寄せる雲南遠征軍。・・・雨あられのような砲弾に応戦はもはや出来ない。凄まじい白兵戦、日に日に兵は、目、腕、足を失った者ばかりになっていく。

・・・守備隊の兵は、適の放った手榴弾を、這って行き、拾っては即座に投げ返す。これが武器もなく、手足もない日本兵の戦い方であり、唯一の祖国への奉仕であった。・・・
その男たちを見捨てることは出来ないと、軍服に着替え、看護や物資の運搬に奔走した女たち。その中には、両眼を失った兵士と結婚し、彼の眼となって共に戦い、共に倒れた女も言われている。・・・

5人の朝鮮人慰安婦を脱出させたことも見逃せない事実だ。

その中の1人が、あの悪名高き(小生の注:NHK・朝日やらせの)「女性国際戦犯法廷」において、「日本兵の自決の巻き添えになるのを恐れ、逃げ出した」「私たちは置き去りにされた」と証言している。

「逃げた」のか、「逃した」のか、その論議はあまりにも虚しい。

ただ、彼女たちを死なせなかった元「慰安婦」を含む守備隊兵士たちの「優しさ」に敬意を表するのみであり、また彼等の慈悲を踏みにじるような所業には、怒りを通り越し、憐れみすら感じてしまう。・・・

守備隊と共に戦い、玉砕した女性たちは、そのとき既に「慰安婦」としてではなく、まさに「兵士」として最期を迎えたのであり、彼女たちは靖国に祀られたいと願ったのではないか、という思いが頭をよぎる。・・・>

以上は桜林さんの思いのごく一部だが、私たちが真摯に歴史を、その時に戻って追体験する必要はあるだろうと思っていたものの、小生は、<娼婦の「私たちは守備隊の母であり、妻である」>という言葉を聞いたとたんに涙腺がゆるんでしまった。

桜林さんの活動を小生は応援していきたい。(「頂門の一針」より)
| 平井修一 | 13:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







スポンサーサイト
| - | 13:20 | - | - | pookmark |







コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://kajikablog.jugem.jp/trackback/709947
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>

SEARCH

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENT

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE