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カネで事件を葬った 渡部亮次郎
金大中事件の直後、田中角栄首相と大平正芳外相宛に朴政権の日本担当相から厖大な現金が届けられた。そのために事件は真相究明が見送られ、朴政権が倒れないで済んだ、と月刊誌『文藝春秋』がすっぱ抜いて久しい。バックナンバーを捜せば出ているはず。

<金大中事件
1973年8月8日、韓国の朴正煕政権を批判し、民主化運動を展開していた野党指導者、金大中氏が滞在中の都内のホテルで拉致され、5日後にソウルで解放された事件。

拉致現場からは韓国中央情報部(KCIA)要員で在日韓国大使館の金東雲1等書記官(当時)の指紋が見つかるなど、KCIAの関与が疑われていたが、政治決着が図られた。過去史真相究明委員会は2005年にこの事件の調査に着手した。>産経新聞 2007.10.23 19:38

<韓国政府が謝罪へ? 金大中事件調査結果
産経ソウルの黒田勝弘氏局長によると韓国政府の「過去史真相究明委員会」は24日、金大中拉致事件(1973年、日本で発生)の再調査結果を発表したが、関係筋によると、事件は当時、韓国政府の中央情報部(KCIA)が組織的に行った“犯行”だったことを明らかにした。

こうなると事件は韓国の公的機関による日本に対する「国家主権侵害」ということになり、韓国政府として日本に“謝罪”しなければならないため、盧武鉉政権の対応が注目されている。

日本側の捜査で在日韓国大使館1等書記官だったKCIA出身者らが関与したことが明らかになったが、韓国政府は情報機関による「組織的犯行」とは認めず、書記官の免職や金鍾泌首相(当時)を“謝罪特使”として派遣することなどで外交決着が図られた。

このため日本では野党や世論の間で「真相解明をおろそかにした政治決着」として批判の声が強く、金大中氏の政治的活動の保証など「原状回復」や、韓国政府の公的機関による「国家主権侵害」の有無などが未解決の課題として残った。

金大中氏はその後、政治的自由を得て大統領にまでなったため「原状回復」問題はすでに解決している。

今回、調査結果は事件が李厚洛KCIA部長ら情報機関の組織的な計画・承認の下で進められたという内容だから、その結果、韓国政府としては「国家主権侵害」問題で日本に対し何らかの外交的措置を迫られることになる。

盧武鉉政権は当時の朴正煕政権を“軍事政権”として批判、否定の立場で「真相究明」にあたってきた。しかし「真相」が明らかになった場合、国家として責任を取らざるを得ず、対応に苦心しているといわれる。>産経新聞 2007.10.23 19:38

これに先立ち東亜日報が98年に報じたKCIAの内部文書によれば、金書記官らKCIA要員25人が周到に役割分担し、朴大統領も報告を受けていた。

3カ月後に金鍾泌(キム・ジョンピル)首相が訪日、田中角栄首相との会談で政治決着に至ったが、会談録では、紛糾の長期化を恐れた日本側が「金大中氏には来日して欲しくない」「これで終わった」と言質を与えるなど、首脳間の生々しいやりとりが明らかになった。

公文書によると、73年11月2日の日韓首相会談(東京)では冒頭、田中首相が「捜査の進展状況を伝えよ」「公権力の介在が判明すれば改めて問題提起せざるを得ない」と迫った。

金首相が「それは必ずそうすることか、建前として一応、話をしておくことか」と聞くと、田中首相は「建前としてだ」と応じた。

また田中首相は「金氏が日本に来るような政治的センスのない人ならば将来性もない。来ないで欲しい」と捜査当局と逆の立場を述べ、金氏が真相を明らかにすれば後の政治活動に支障が出ることを示唆した。

さらに日本側で捜査が続いていることに話が及ぶと、田中首相は「建前はそうだが実際、日本の捜査は終結する」。「これでパー(終わり)にしよう」と言った。金首相は「この前、ホールインワンしたから自信を得たのか」とゴルフ談議に。

田中首相は「ホールインワンは偶然だが、こっちは本物だ」と応じた。公開されたのは事件直後から翌74年までの約2500ページ分>(asahi com2006年02月05日21時29分)

田中内閣は事件の1年前に成立。9月には特別機で中国を訪問、毛沢東主席、周恩来首相らと会談して共同声明に調印、日中国交正常化を達成した。これに私は同行取材した。マオタイ酒を一緒に飲んだ。

翌年になると老人(70歳以上)の医療費を無料化するなど意気が上がっていたが、持論の日本列島改造論に刺戟されて卸売物価が8・5%も上昇、野党から内閣の責任を追及されていた。角さんとすれば「いやぁ、チトいきすぎたわな」と頭をかいているところだった。

とはいえ月刊誌「文藝春秋」でペンネームながらしつこく田中批判をする渡部亮次郎というNHKの記者。無断で韓国訪問をしたことを口実に大阪への左遷をNHKにやらせてホットしているところへ持ち上がったのが金大中拉致事件だった。

政治記者が、商売の街・大阪に行ってもやることがない。毎日、記者たちが書き損じてポイと捨てる紙くず拾いと辞書読みで過ごした。辞書は「漢字書き順辞典」。読破した。

ところで事件の顛末と結末は新聞の通りなのだが、問題は2つある。政府も知らなかった情報が1つ、多くの国民が話題にしなかった田中首相、大平正芳外相への韓国政府?からの謝礼金。

NHKが問題にした私の韓国行きは、まさにKCIAの招きによるもので毎日、読売、東京、時事に私を加えた5人が6月に出かけたもの。朝日の記者は直前になって取りやめた。当時の朝日は朴政権を認めずの立場だったから当然だろう。

出発に先立って東京で韓国大使館との打ち合わせがあり、金在権という名刺を差し出してきた公使と会った。しばらくして打ち解けたところで私が、東京で盛んに反朴政権活動をしている金大中について「このまま放置しておくのですか」と尋ねた。

金公使は中肉中背、外見も目つきも誠に温厚な感じの50近い男。おとなしい声で「そのうちに、何とかなりますよウフフ」とうめくように答えた。

不気味ともなんともない感じだったが「何とかする」事がどういう意味かは聞かないでも分かる。暗殺だと受け止めた。

大阪で新聞を読んでいると、金在権という公使は事件とともに姿を消した。そのご「アメリカへ逃亡した」という噂が流れたが、そのままである。流暢な日本語。と言っても、あの時代は韓国人は成人の殆どは日本語を話せたが。

もうひとつは何年か前、文藝春秋に元新潟県議が署名入りで書いたもので、事件の直後、朴政権の日本担当相(当時はそういうポストがあったのだ)李さんを目白の田中邸に案内したところ、李さんは持ってきた紙袋2つを角さんに示し「1つは奥さんに」といった。

すると角さんは「そうだ1つは大平君にだな」と答えた。(領収証代わりに)「色紙を書こうか」と聞くと李さんは「結構です」と断ったとなっていた。雑誌の発売当時、このことをどこかに執筆したように思うが、思い出せない。文藝春秋のバックナンバーを探せば出てくるはずだ。

ソウルでは李さんと随分ウイスキーを飲んだ。「ワッタリ ガッタリ」。朴大統領の軍人時代以来の側近であったから、日本担当と言うウラの必要な仕事を任されたのだろう。

色紙を断ったところがそれを証明している。 一体いくら入っていたのだろうか、「謝礼金」。

重さは新札だと100万円で 100g,1000万円で1kg,1億だと10kg。両手で2つの紙袋は計2億円が限度か。ちょっと無理だな。いずれにしろ調達は都内の韓国企業だったはずだ。いずれ登場人物はみなあの世だ。2006.02.06 再録 2006・07・26
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